終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

いまが一番幸せ

近くに住んでいる41歳(閉じこもり)の息子から買い物依頼のメールが届く。

息子と一緒に住んでいる67歳の母親(甲状腺がん)が病をおして家事を担当している。

夏に引っ越したマンションは斜め前に手ごろな食品スーパーがある。6階の部屋からエレベーターで1階に下りて急ぎ足で3分も歩けば駐車場(20台ほど)を突き切って店の玄関に到達する。

ちょっと元気なときには母親(わたしには妻)が総菜などを買い出しに行く。

鼻がが詰まったり熱が出たときに2人のどちらかからわたしに買い物依頼の連絡が入る。

今日は午後7時過ぎにセブンイレブンへの買い出し依頼だった。

おでんを買っておにぎりやポテトチップをかごに入れる。全部で1700円が飛んで行く。

届けて玄関先で息子と話をする。引っ越してそう日がたっていないので部屋が片づいておらずテーブルやいすも完備していないから玄関での立ち話となる。

穏やかに息子の話を聴くのは引っ越してからの習慣である。以前の住まいでは奥の部屋に閉じこもる息子に向かって「元気か?」「うん」の短いあいさつ程度だった。

今夜は息子が苦労して開通させたパソコン(Wi-Fi)の話を「ようがんばったなぁ」と褒めながら聴いていく。

息子は立ち話しながら体を揺らし目を輝かせる。

わたしが勧めて始めた自転車漕ぎとほうれん草の多食&カルシウム摂取を「がんばってるか?」と確認する。

キッチンで妻(母親)は買い物袋から商品を冷蔵庫に移しながら親子会話の暖かい雰囲気を感じ取っているようである。

妻の7年前の甲状腺がん手術以来(これを機会に家族3人がチョッとつながる)、わたしが決めたことは

"妻の心に絶対に波風を立てないでいてやろう"ということだった。

お互いの我を主張すればどこまでも話は平行線できりがない。後にはもやもやだけが厳然として残るだけである。

あれから7年、途中わたしの我が出て少し喧嘩もしたが、ほとんどの時間は妻の好きなようにしてもらっている。

わたしは"自我100%カット"を座右の銘に掲げ自分を殺し続けている最中でもある。

まだまだ100%とはいかないが、全てを包み込めるまでに訓練が行き届いてきたように思う。

3人3様、各々重篤な状態を抱えたままであるが、3人は生きている。会話の中にふっと笑みもこぼれる。

いまが一番幸せではないかと毎日思って日々が過ぎていく。