終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

デジカメ編集画面にいつも息子が現れる

わたしはシーサーブログで"うさぎ飼育日記"を書いている。

そこへ載せる写真を毎日何枚か編集するが、デジカメからパソコンに取り込むとき既存の息子の画像が編集画面にいつも現れる。

少し無精ひげをはやしはにかんでいる7年前の写真である。

その日は閉じこもりの息子を何とか説得して2人で入院中の妻の見舞いに行った。病室の廊下の外れにある待合室で写したものである。

その日の1週間前、10年間言葉を交わしていなかった別居中の息子から突然電話がかかってきた。

「お母さんが息が出来ないと苦しんでいる」

ちょうどわたしは車を運転していた。それも国道に出る前で次の信号を「右折」し買い物に行く予定だった。「左折」すれば3分もかからず妻と息子の住むマンションに到着することができる。

天の差配であろう。

「すぐに行くから待ってて」と交差点を左折する。

部屋に着くと妻は台所でのどを掻きむしりうずくまっていた。ここら辺の経緯は気が動転していたのかたった7年前の出来事なのにいま詳細は思い出せない。

救急車を手配し緊急患者として受け入れ先の決まった大和高田市の民間病院にわたしだけが付き添って向かう。

その病院では症状が複雑すぎて処置できないと判断され、同じ救急車ですぐにUターン、橿原市にある県立医大病院の救急処置室に運び込まれることとなる。

簡単な診察の後、深夜に緊急手術が始まった。

甲状腺が腫れ上がっていて気道(空気が肺まで通る管)を圧迫し口からの呼吸が困難になっていた。腫瘍のあるのどに穴を開け塩化ビニールのパイプを肺の分かれ道まで差し込んで呼吸を確保する。

4時間に及ぶ大手術であった。病院スタッフさんの大きな支えもあり、おかげさまで妻の命は一時長らえさせてもらった。

いろいろと織り交ぜて1ヵ月になる妻の入院生活であったが、徐々に回復し?大部屋に移ってからの息子の初見舞いが実現した。写真編集時に現れるのはその折りの写真なのである。

息子から直接言葉では聞けなかったが、引きこもり本人にとっては出にくい外世界に母親を見舞うためにがんばって出かけた一大イベントであったのだろう。