終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

「しんどくなったら来てや」

昼前に息子から電話が掛かってきた。

携帯のモニター画面に発信人が"ya"とあるといまでもドキッとする。

昔、妻が甲状腺がんでのどに穴を開けたとき、症状が安定するまでの2年間は、夜中深夜日付が変わっていようが、昼間に仕事中であろうがお構いなしに息子から電話がかかってきた。

当たり前である。

気道(のどの息をする道)の先に通した管が痰(たん)で詰まると息が出来なくなる。

「お母さんがしんどい言うてる。すぐに来てや!」

妻はのどに管を入れたときに声帯を失っている。自身では電話での助けを呼べないのである。

息子は妻の部屋の横に暮らしていて間仕切りは薄いカーテンを隔てただけである。母親の息遣いはその日によって違い、痰が絡みゼイゼイ言って苦しそうな気配を漂わす。

毎日毎日その息遣いを忖度(そんたく)するだけで息子の精神は緊張し一息一息を聞くだけでたいへんだったろう。

妻と息子2人の間に究極の合図があってベルが鳴ると息子は"母の一大事"と、わたしに自動的に電話をする取り決めになっていた。

寝込みに電話が鳴るときが2年の間に何度もあった。わたしはあわてて身なりを整えてTDマンションまで飛んで行く。

部屋から深夜であれば車で5分くらいで到着するが、状況によっては息子に「そっちで救急車呼んで」と声を荒げて跳び出すこともあった。

息絶え絶えの妻の付き添いでわたしは救急車に同乗し県立医大へ向かう。

着いてからの処置はその折りの状況次第でさまざまであったが、閉じこもりの息子はたった一人でマンションでの留守番となる。

「しんどくなったら連絡するからすぐ帰ってきてや」は息子の口癖で、不安な精神状態を安心させようとする言葉であった。

今日の電話は、その昔の名残で、体がだるかったりどきどき動悸がしたときの安心を得ようとする儀式のようなものであった。

「しんどくなったらすぐ来てや」

わたしは「うん、すぐ行くでぇ」と返す。

それで安心したのか息子は電話を切ろうとするので、ここから"おやじ"のカウンセリングが始まる。

「もうご飯食べたん?」

聞くだけで決してアドバイスはしない。

「うん、電子レンジでご飯をチンしたところや」

引っ越してからやっと落ち着いたのか、母親が炊飯器でご飯を炊きタッパーに入れ冷蔵庫で保管するようになった。それを取り出してチンしたらしい。

「お母さんがしたん?自分でしたんか?」

尋ねると自分でしたらしい。

「えらいなぁ、自分で出来たん」と褒める。

「うん」まんざらでもない相づちが受話器を通して聞こえてくる。

「お母さん元気か?」と聞いてみると

息子は「元気や」と言って説明しだした。

妻は昨日DYマンションの斜め前にある美容院に髪カットに行ったらしい。今度のとこは前に所より優しいので気に入った、と言うてた。

ポツリポツリと質問し息子の話を聴くだけにしてる。途中、少し会話が途切れたときでもこちらから慌てて話題を探さない。息子の次の声を10秒でも20秒でもじっと待つ。

新しく始めた自転車こぎの状況、青野菜やカルシウム摂取具合を聴き終えて、

「前と比べて実感としてどう?」と尋ねると

息子は「良くなった」と言わないが少しずつ変わっているのは何となく感じているらしい。

わたしは最後にまた外出の誘いを試みる。スマホのゲームは"妖怪ウオッチ"と言うと教えてもらう。

"暗くなってから気軽な服装でちょいと出かけてさっと帰ったらいい、"行ってみよう、慣れやから"と、ここだけはアドバイスの意思を込めて熱くささやきかける。

「切るでぇ」

「うん、切って」

と息子との7分半の電話がやっと終わる。

ベランダ側から市のごみ収集車が流す"赤とんぼ"の曲が聞こえてきた。