終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー2ー

「福祉」費用面で入院患者を手助け

福祉についてです。 おいちゃんは患者連中が会話する中に、よく「ふくし、フクシ」という言葉が混ざるのですが、最初、何のことかよく分かりませんでした。漢字も想像できませんでした。考えると今まで、おいちゃんがいかにうとい社会人だったかということです。

ふくしとは福祉と書くのです。社会福祉とか福祉施設のフクシです。親兄弟のいない天涯孤独の人間が居るとしましょう。そうなった理由はさまざまです。離婚して独りになった者もいます。家族が病気で収入の乏しい者もいます。親がいても遠く離れて暮らしている者もあるでしょう。その孤独な生活者がアルコールにおぼれてしまったらどうなると思いますか。

酒を飲みながらでも、仕事ができている間はいいでしょう。しかし、酒浸りで食欲が落ち、体の自由が利かなくなれば働けなくなります。そこへアルコールの依存が重なれば、にっちもさっちもいきません。死を待つばかりの状態が訪れます。

そこで登場するのが福祉です。このS病院の患者の半数は福祉の世話で入院しています。条件があるのです。院内の断酒会にまじめに出席すること。退院後も地域の例会へ毎週欠かさず参加すること。これらを約束することで入院費用をはじめ毎月の生活費(2万2千円くらい)が役所から支払われます。

だから皆のん気に構えています。ここにおれば3食点滴付きで生活をエンジョイできるのです。退院するとその日から自分の力で生きていかなければならなくなるのでたいへんです。

1人の愉快な男がいます。本人の心の内はのぞけませんが、上の前歯が2本抜けてなく、笑うと何ともあいきょうのある表情になります。

その人(K)が、おいちゃんの生活を知って「福祉にしろ、福祉にしろ」と言ってくれるのです。おいちゃんはその勧めも含めて、3週間後の決断のときまで(注:妻の妊娠が分かった)、いろいろ考えてみようと思っています。

(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)