終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー4ー

「病気」薬減らしても精神状態良好

チョコレートはどこからもきませんでした。全く世の中の流れから隔絶されている生活ですから無理もありません。しかし5号には呉服屋がいます。鉄筋工、自動車の修理工も仲間です。新世界のやっちゃんも尼崎の土方も兄弟です。ですから各業界の話には事欠きません。酒飲みは皆おしゃべりなのです。

この部屋の雰囲気に慣れたのか、精神状態はかなり安定しています。A病院の時は神経症を通り越して拘禁ノイローゼ気味でした。焦燥感が激しく、居ても立ってもおられない苦しい1刻1刻で、地獄さながらでした。

このS病院ではわざと安定剤の量を加減しても平気なほど心は穏やかです。 人々の雑談に耳を傾けたり、週刊誌に目を通したり、カセットテープで音楽を聞いたりと、のんびりとさせてもらっています。 この精神の安定はいったい何なんでしよう。

よく食べます。 体調が回復したので今は、お粥をやめて普通のご飯です。 毎食、どんぶり1杯をおいしく噛み締めています。  

先日、yaの歯が抜けた日がありましたね。 おいちゃんも同じ日に、左下奥歯のかぶせが取れました。 Keiが買ってきてくれた森永の飴を思わず噛んでしまった時です。 その部分がこの頃、食事のたびにうずくのです。特にモヤシを食べると歯茎まで痛みます。

pm4:00に夕食なので夜が長く、日記のつもりで手紙をしたためています。 ボールペンをしっかりと握らないと手が震えそうな気がするので、人差し指に余計な力が入り痛くてたまりません。

写真を送ってください。 yaのはあるのですが、keiのがありません。 御座白浜へ行った時のビール瓶の前で笑っているやつがいいです。 多分、仏壇の前の細長い額に入っていると思います。 もし探してなかったら、keiがいちばん気に入っている写真を1 枚お願いします。

大ニュースです。 入院後、1か月経つと外泊できるようです。 3月3日でちょうどひと月です。 K市断酒会への出席をかねて、3月8日に外泊しようと希望を持ちました。 夢ができました。 それまで必死で治療に専念します。 今はまだ、酒なしで外を歩く自信はありませんが。 皆の話をよく聞いて、アルコールを断つコツみたいなものを早く習得できたらいいなと思います。

先日、院内で開かれた断酒会で、しょっぱなに体験談をさせられました。 「起きては半合飲み、寝て、また目覚めて半合と、ひっきりなしの飲酒でした」と死ぬつもりでのんでいた頃のことを少し語りました。 不思議に心悸高進(ドキドキ)なしで話をすることができたのです。  

おいちゃんの依存症を治すには、度胸1つでしょうか。 「なるようにしかならない」と悟ったとき、おいちゃんのアルコールへのとらわれはなくなるのでしょうか。

ポンポンの話ですが、keiが絶対に死なない方法を選択したいと考えます。 keiもその方向で検討してみてください。 検査をするにしても絶対安全という医師の確約を取ってください。 もう若くはないのです。 あれから9年が過ぎようとしています。  

せっかく妊娠したのですから、産んでほしい気は強いです。 医者の「だいじょうぶ」といういい加減な言葉には迷わされたくありません。

話は変わります。 おいちゃんの腸の検査のことです。 17日の朝から下痢攻めで、O 医師の表現を借りると「ピッピコピのピ」 らしいです。 先生も1度この注腸検査をやったことがあるので説明はリアルです。 何しろ腸の中を空っぽにしなければ調べられないのですから。 当日が思いやられます。

「宿便が取れる」と先生はおっしゃいます。 それだけを楽しみに下痢と闘います。 しかし、自然療法、西式の断食で1週間も2週間も苦しんだあげく、それでも宿便の下りない人が多いのに、こんなやり方ではたして大丈夫なのでしょうか。 不安です。 まあ、宿便を取るのが本題ではないので、いいとしますか。  

郷ひろみの写真を同封します。 少しでも心を和ませてください。

今日、入院時のオリエンテーションがありました。 O Drより院内での飲酒は絶対に慎むように、との注意がありました。 最初のうちは、外で飲んで失敗するのは仕方がないにしても、病棟内では厳禁ということです。  

また病気だから、失敗を繰り返しながら徐々に良くなっていくのですとの講釈がありました。 おいちゃんは何があっても、もう飲まないつもりです。 しかし「病気」だから、ついまたということもあるのでしょうか。

3か月ここに居る決心がつきました。 いいですか。 1度、ケースワーカーに生活費のことを真剣に相談してみようと思います。 おいちゃんが入院している期間だけでも、お世話になれるかどうか。 どういう方法で切り替えればベターか、よく尋ねてみるつもりです。 (皆の意見を総合すると、ここのケースワーカーは頼りないそうです)

(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)