終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー5ー

「イライラ」つづく雑音と将来への迷い

起床、am6:30。 今日はY氏が部屋の掃除をしてくれるというので、30分間、カセットテープを聞いてごろっとしています。 am7:30、血圧は106~188です。 今朝より食後、血圧降下剤を飲んでいます。 こうして書いていても頭がジンジンします。

am11:00、昼食に初めてカレーが出ました。 ゆで卵1個つきです。 安定剤3錠と血圧降下剤を1錠服用しました。 眠くなってきます。 あの安定剤特有の否もおうもない眠気です。

5号より3人がバタバタと引き移っていきました。 入れ替わりに3人がすぐご入室です。 皆、案外と元気そうな人ばかりです。

その内の1人、78歳のおじいさんを眺めながら考えています。 毎日この人は、5合も日本酒を飲むそうなんです。 しかし、こんな病院に連れてきて「元気になったら断酒会に行きや」ではあまりにもかわいそうです。

人生の最後にきて、好きな酒をなぜやめさせなくてはならないのでしょうか。 家族がいろいろと相談した結果の処置なのでしょうが、何か割り切れないものを感じます。

おいちゃんの時は、死ぬとわかったらビールもウイスキーもがぶがぶ飲ませてほしいと思います。 よく覚えておいてください。  なんとまあ、まだ未練たっぷりなのでしょうか。

やくざが通院で点滴を打ちにきています。 もろ肌脱ぐと背中から肩にかけて刺青がびっしりです。 同じ世界の入院患者と出入りの経緯、競輪の勝ち負けとひとしきり話に花を咲かせています。 ペチャクチャとうるさくほえて、やがて引き上げていきました。 神経過敏のおいちゃんとしては、うっとうしくてしかたありません。

pm3:30、妙に興奮して酒が欲しいです。 いつも飲んでいた時のパターンと一緒の気持ちです。 そろそろ鬱(うつ)の状態が出てきたのでしょうか。

同室者のしゃべくり、通院極道の会話、途切れることない雑音、これらにあわてて耳をふさぐのではなくゞ全部を受け入れようと必死です。 耐性をつける訓練をするつもりでがんばっています。

散髪屋のSは口の休まる暇がありません。 Y氏は少しノイローゼ気味で「うるさい」と天井に向けて怒鳴ります。 面と向かい合って注意のできないところが依存症者の気の弱さです。

2日前に購入した塩飴と黒飴がもうありません。 なるべくなめないようにしていても、2袋が瞬く間です。 煙草をいま頃から吸い始めるのもしゃくです。 かと言って口の寂しさは我慢の限界です。

何か漠然としていますが、やはり、うっとうしいです。 この気分が飲酒の根本です。これ以上にならないことを祈るだけです。  

夕食の時間がきました。 また長い夜がやってきます。 「ああ、しんど」というやるせない気分です。 入院以来初めてのしんどさです。 薬の影響もあるのでしょうか。 血圧が高いということで興奮しているのでしょうか。 検査が近づく不安も高じてきているのでしょうか。

「しんどい」 「酒のみたい」 「家に帰りたい」と、今日はどうも変です。

pm7:45、血圧96~158。 しばらく安静にしていたのと、降下剤で少し楽になりました。 もうふらふらしません。 夕食後の安定剤が効いてきたのでしょう。 何となくさっきより元気です。 何日かして血圧が安定したら運動などを開始して、足腰を鍛えなくてはと思います。

ポンポンのこと、1度は医大で診てもらってください。 そう勧めながら迷っています。 生活費のことも迷っています。

迷っています。 飲酒がほんとうにやまるのかと迷っています。 迷って迷うのが人間だし、5号室の患者全員が、どうしていいのかわからなくなってイライラして迷っています。 だから夜、睡眠剤がないと寝つけないのです。

Oさんは、6年前に離婚した独り者です。 宮崎県に子供7人を残して上阪し、尼崎で土方をしています。 春には子女が父親を頼って大阪へ出てくるというのです。 自分はというと依存症で福祉の世話で精神病院に入退院を繰り返しているありさまなのです。

K氏は逃げた奥さんに電話をかけまくっています。 眠れないらしく、夜中に詰め所で「眠剤をもっと出せ」と、断ちバサミを振り回して大暴れしたそうです。 皆、迷っているのです。 電気がともって明るい間は、口を動かしてしゃべり飽かしていれば何とか迷いからは遠ざかれます。 隣でソフトボール談義が延々と続いています。

「ラブレターばかり書いて」とひやかされますが、これはおいちゃんの日記です。yaは元気ですか。 ヤンキースに楽しんで行っていますか。 「明日、晴れるように祈っといてや」とyaに言われています。 太陽が顔を出した暖かい日曜日でありますように、アーメン。

keiちゃん、おやすみなさい。

(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)