終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー6ー

「将来」  生活の維持、どうしょう?

何となくだるい1日で、終日ベッドに寝転んで雑誌を読んでいました。 明日から下痢だと思うとうんざりします。 pm7:30の血圧は92~162でした。 降圧剤を朝昼と飲んで少しずつ下がってきました。 でも何となくだるくてめいっています。

8:20~28まで家へ電話です。 yaの交通事故だけはありませんように、神様にお願いしています。 keiも無事に子供が産めますように。 40歳の時の子供が成人すると、おいちゃんは60です。 keiは54歳のおばあちゃん。 yaは29歳ですか。 結婚して子が2、3人いるかもわかりません。 希望が、夢がかなうといいですね。 アルコールは毒だと思って、やめ続けるしかありません。 今度は絶対に酒を断つぞ ! 

仕事がしたいです。 やりかけた便利屋の仕事を継続発展させてみたいです。 もう人にこき使われるのは嫌です。 営業の仕事も好みじゃありません。 それかといって15、6万円くらいの収入ではとても生活維持はできないし、どうしよう ? どうしよう ?

大型の運転免許でも取って、長距離を走りましょうか。 そうすれば手取り25万円くらいにはなるかもしれません。 将来のことを考えるとうんざりします。 でも、早く働けるような体になりたいです。

この5号に入っている者は、多かれ少なかれおいちゃんと同じような悩みを持っています。 加えて約半数以上の人が胃とか腸を切り取っています。 酔って自転車をこいでいて転び右肩の全然動かない男もいます。 家族と別れ、月に2万なにがしかの福祉の金で病院生活している依存症者が考える将来とは、どのような未来なのでしょうか。

皆、夜眠れないので、pm8:45の眠剤配給タイムになると、詰め所のまえは大行列です。 睡眠薬を飲まないと夜が苦しいといいます。 おいちゃんは眠れなかったら眠れないでもいい、カセットテープをかけまくって現実の雰囲気をじっと味わう覚悟です。 本日は安定剤が効いているのか割に落ち着いています。

yaくん元気ですか。 お父さんは元気です。 毎日、朝と昼に点てき注しゃをしているので、少しづつ元気になっています。

野球のれんしゅうでしたつき指はなおりましたか。かぜひいていませんか。 お父さんはかぜひいていません。 しんどいお母さんのお手伝いをしてあげてください。 テレビゲームは友だちをたくさんよんできて、楽しくあそんで、家の中をあかるくしてください。

それでも、お母さんのしんどい時で、お母さんが「あかん」といったら、外であそぶように。 勉強も公文(くもん)もいっしょうけんめい、がんばるように。 ヤンキースのれんしゅうも休まずがんばれよ。

お父さんは3月8日(土)に家へ帰ります。 それまで、お母さんを助けて、おりこうさんにしているように、楽しみにまっていてください。 お父さんより。

(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)