終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

不潔恐怖症

息子の不潔恐怖症歴は長い。

「ぼくのやりかたで治すから10年間任せて!」と言った息子は現在も不潔恐怖症を背負っている。部屋の中に居ても自身が気になる家具や食器を触るとき、簡易ビニールの手袋をする。どういう塩梅か二重にはめるときもある。

ショーワグローブの "キッチンでつかっ手" 48枚入りを1ヵ月に60袋、枚数にして約3000枚近く消費する。金額も張って14600円かかっている。

これを書くにあたりどれくらい長いか時間を少しさかのぼってみた。が不潔恐怖の始まりがいつのころからかは、はっきり見えてこなかった。

息子は小学校4年のとき半年ほど不登校になった。5年生になって担任が変わってなんとか学校に通えるようになる。

こう記すと担任が不登校の原因のようだが、第一要因はわたしにあった。担任の女性教師は息子のしなびた心をよう理解しなかっただけである。

そのころ出ていた息子の症状を思い出す。身の回りの汚れをぬぐうためティシュの箱から頻繁に紙を抜き取っていく。わたしはそれを見ても"もったいないことするなぁ、森林資源の無駄遣いやなぁ"、くらいにしか思っていなかった。

中学校2年のとき息子は自転車を壊されるなど陰湿ないじめに遭って学校へ行けなくなった。閉じこもりの始まりである。

しばらくして洗面所でしきりに手を洗い始めるようになった。息子の症状が病名でいうと「不潔恐怖症」では?と気がついた。手を洗う時間が5分10分15分と増していく。なかなか洗面所から離れられなくなっていた。

息子が中学2年生14歳とすると、西暦でいう1991年は、わたしがアルコールを断って4、5年目の時期にあたる。断酒するために自助グループへ通い詰めていたころと重なる。

書きながら息子とわたしの年表を擦り合わせ、なるほどと感じ入る。わたしの息子に対するパワハラがいちばんきつかったときである。

パワハラアルコール依存症の治療業界で"ブラックアウト"と表現される。酒をやめているにも関わらず無性にイライラする。飲んでいるときと変わりなく他に辛く当たる。その矛先が妻より幼い息子に向かっていたのである。

酒を断ち続ける方法として同じ仲間のいる自助グループがある。断酒会やAAである。専門病院の退院時に例会への出席が求められる。例会は夫婦での参加が望ましいと断酒の本に書いてある。

我が家の場合は何回か妻と二人で出席したが、家に残した息子が気になるのか、妻が例会出席を渋り始めた。仕方なくわたしは一人で通うことになっていく。

わたしが居ない時間に今度は息子が留守番の妻に当たり出す。イライラをぶつけ大暴れする。例会から戻って話を聞くとハサミを振り回して脅されて怖かったと聞いたことが何度かあった。

思うようにいかない3人3様の意思が複雑に絡み始めていくのである。

息子の状況が険悪化し「お父さんと一緒の空気は吸いたくない」と言い募っていた。「10年の間にぼくのやりかたで治すから任せて!」と息子は譲らない。

わたしと妻は長い時間をかけて「夫婦で息子を元気にしてやろう」と繰り返し話し合ったが、妻は飲酒時代のわたしへの不信感が解けないのか最後まで"うん"と首を縦に振ることはなかった。

「私をいま息子から離すと血がでるよ」と妻は息子の「ぼくのやり方」に同意する。

わたしは一時避難を装って近くにアパートを見つけ家出する。ベッドなど手で運べる家財道具を細切れに運び込んでいく。冷蔵庫と洗濯機はしばらく買えなかった。(今から17年前になるんやなぁ!)

経過を簡単に振り返ってみる。
2001年、わたしは家を出る。(2001~11年まで便利屋で稼ぎ仕送りを続ける。)
2011年、心臓バイパス手術を余儀なくされる。
同年に妻の甲状腺がん、それを機会に10年ぶりに息子と少し話をするようになる。
2018年の現在は、息子と2人で短時間だがドライブが可能な段階まで到達している。

もう後少しである。息子の神経症状は心が転換さえすれば治るときは"あっ"と言う間、一瞬だろう。

母の力は強い。余命3ヵ月「次の年の桜は見られない」と宣告されてからこの春に6度目の花見をし妻は生き永らえている。妻も息子の自立を見届けなけれは死ねないという。今度の引っ越しも母親主導で始められた。

妻は自分のがんの手当(日に5回の吸入吸引)をしながら息子のためにおさんどん(食事の用意)をこなしている。出来合いの総菜や弁当に頼らざるを得ないが夜昼なく頑張っている。

わたしは少し離れた場所で「いつもそばにおるからな」と見守るのが精一杯である。

さっき、隣町にある有名店の"すき焼き弁当"が食べたいから買ってきて、と息子から電話がかかる。息子のためならエンヤコラ、予約電話を入れわたしは車で飛んで行く。


2018年10月22日 いまが一番幸せ