終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー9ー

「1号室」 社会復帰までの遠い道のり

am6:00起床。採血5cc、廊下掃除、洗面といつもと変わりない朝の日課です。 冬の朝、硬質塩化ビニールの床が天井の蛍光灯を反射して寒々と光っています。

「すぐやなぁ、この漫画もったいないな、これで200円やったら」

2号室のY氏 が、昨日貸した”漫画アクション”を笑顛で返しにきました。  

Y氏は大学の先輩です。文学部仏文科卒の文学中年で、年は49歳と聞きました。 和装小物の問屋に勤め、全国の百貨店へ向けて営業活動をしていたそうです。

「もう営業 はええわ」がよく口をついて出ます。夜毎の接待がつらかったに違いありません。  

背が高く、細身ですらっとしています。色白の顔は身長に比べて小さく笑うと目がな くなってくるのがY氏です。やさしい顛をしてふとんの中からいつも遠くを見ています。 目の輝きはなぜかしら憂いとあきらめに満ちているのです。  

昨日とうって変わって外の世界には青空がいっぱい広がっています。池の水面がキラ キラとまぶしいばかりです。陽なたぼっこをしていると看覆士長が通りかかり「 1号室へ替わってくれるか」ということです。入院して16日目でやっと5号室(観察部 屋)を出ます。  

am10:00、昼食前にK氏、O氏の協力を得て病棟のいちばん奥の1号室 へ引っ越しです。ここは畳の部屋です。今まではベッドサイドの堅いテーブルの上で手紙 を書いていましたが、これからは荷物入れのダンボールを下敷き代わりにしてペンを走ら せるようになります。押さえ付け押しつけて書くようになりますので、おいちやんの細か い達筆?が生かせなくて残念です。  

観察室(5号)を出て1号室に移ると、無条件で院内の断酒会に出席しなければなりま せん。体がある程度回復したとみなされるわけです。水曜が例会日なので、ちょうど今日が その日に当たります。早速、午後から(pml:00~Pm3:00まで)断酒会に参加 します。  

アルコール依存症が手のつけられない、すごい病気だという体験談を聞きながらぞっ としました。社会復帰についても悲しいほど遠い気持ちになってしまいます。

断酒会回りを毎日こなすことは決して社会復帰とは思いません。

おいちゃんの酒は、 殴るとか交通事故を起こすとかで他人に迷惑をかけた飲み方ではありません。ただKeiとyaを精神的に苦しめたようです。これからは、その償いとしてKeiとyaを幸せにしなければな りません。そのための社会復帰の絶対条件としては、仕事がこなせる心と体になれるかということです。  

2ページまで記したところで、Pm5:00、読書会があるというので行ってきます。  M院長の講話です。いつか郵送したあの黄色い表紙の冊子「アルコール症とその回復」 の10ページを習いました。  

「アルコール(依存)症という病気の症状である”病的飲酒欲求”のために飲むのです」 。

これが50分間の話の結論です。その病的飲酒欲求をどう思っているのか云々、という 院長の訓話は感動的でした。
 1、「あの人たちは意志が弱いから飲む」
 2、「1つも私達のことを考えてくれない。考えてくれるなら我慢できるはずだ」
 3、「もう少し量を減らしてくれたらいいのに」
 心ならずも飲酒を繰り返す、依存症という病気を持った患者の心をみっちりと弁護して くれます。  

世間の人は、1、2、3、の理解しか示してくれません。だから酒飲みは孤独に陥って いくのです。おいちゃんには、Keiが居てくれるから、いまほんとうに幸せを感じていま す。  

「100あった生活能力が、アルコールによって30に落ちた。あなた達は決してあせ ってはいけない」と院長の口をついて出てくる言葉には意識の遠くなる思いがします。  

3か月かかって31に、6か月で40に回復すれば、よしとしなければいけない、との ことです。週単位でとか、月単位で考えてはダメなようです。Keiちやん、5年くらいの 計画で断酒会につながりを持って、あせらずにやっていかないと失敗する、というので す。

「あせると必ずアルコール類に頼り、失敗する」は頭の痛い提示です。Keiも小冊子 の10ページを味わってみてください。  Pm7:30の血圧は90~144それでも頭はジンジンします。1号室初日の緊張からでしょうか。     

「断酒の誓い」   

私達は酒の魔力にとらわれて、自分の力だけではどうにもならなかったことを認めます。

私達は過去の過ちを悟り、迷惑をかけた人にできるだけの償いをいたします。

私達はお互いに助け合い、酒癖に打ち勝って雄々しく新しい人 生を建設します。  

仕事の問題、職業安定所の仕組み、会社側の態度、労組組織の話と、1号室もかまびす しいものです。  

たばこの煙が目に染みます。  

Pm8:20、Keiとyaに電話。    

酒はやはり毒です。失敗を繰り返しながら治っていくと言うけれど、おいちゃんはそう 皆のように入退院を重ねることはできません。こういう気のもみ方がきっと悪いのでしょ うが。 たばこの煙が目に染み過ぎます。1号室は煙部屋です。

yaの写真をブルーの地のダンボールに張り付けて、枕元に立て掛けています。ついで に大和岡寺の厄除けのお札も真ん中に取り付けました。神様、仏様のご加護で依存症から も地獄の精神状態からも抜け出せますように。Kei、仏壇の水と花を欠かさんように頼みます。

(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)