終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー10ー

「1階」 処世術の一つソフトボール

点滴後、1階の15号室へ移動しました。2階の1号室は一晩だけの縁でした。 I 氏がなぜか強引に自分の部屋へおいちゃんを引っ張ったのです。同県のよしみと 考えれば少し納得がいきますが、やくざ者(テキヤ)独特の気配りにはちょっと戸惑いも あります。  

この部屋は妙に暗い感じがします。北側に建物があるせいかもしれません。広さは7人 がゆったりと座れるれるくらいですから、約20畳はあるでしょう。

運が良いのか悪いのか、I 氏のすぐ隣の布団です。面倒を見てくれるというのは、内 心ではうれしいのですが、同室であまりにも近くだと、かえって気詰まりな面もあります。 いつも不機嫌な顔も気になります。腕のイレズミも正直言って怖いのです。2、3日神経 性の下痢に襲われそうです。

「気を遣わなくてもいい」と優しく言ってくれるのはわかります。流れに乗ったという こともおいちゃん流の気遣いで、これからがたいへんです。

5号室でNO1古手までいったので多くの知人達が出来ました。彼らは皆、病院側の 治療階段を歩んでいます。ほとんどが1号、2号、3号室に入っていて、2階住まいです。 1階は退院待ちの元気な者ばかりの部屋で、おいちゃんのように点滴治療を受けている患 者は何名もいません。

今日思い切ってコーヒーを買いました。NESKAFEのEXCELLAで、150g 1120円です。プラスおいちゃんの好きなブライト(クリーミングパウダー)は175 g、440円でした。ダイエーの価格と仕較してみてください。ここの売店は高い、ぼ ったくりだと不評です。

pm、5:00より15分間、読書会がありました。依存症にかかった人の奥さんが、つらかった昔を本で語っています。患者の一人が読み(約2ページ)、院長がそれについ ての簡単な注釈を述べて、ハイ終わりという短い会でした。

5号室を出ると、肉体的には充分元気とみなされます。病院の中で行なわれる勉強会に は義務で加わらなければなりません。夜の外出は、もちろん地域の断酒会出席のためです。 ノルマがあります。入院中に4回、断酒会に出なければ退院許可が下りないのです。例会 に確かに参加したという証拠に、各会場でハンコをもらってこなければならないのです。

おいちゃんの場合、今日で入院17日になります。院内は自由に歩けます。病院内の断 酒会や各種会合には、なんとか参加できます。でも、バスに乗って、酒なしで、という条 件がつくとまだまだ不安が先に立ちます。

この気持ちが飲酒の原因です。これが消えない 限り、おいちゃんは八木にも帰れないし、社会復帰などおこがましいのです。以前森田療 法で学習したように、思い切って現実に飛び込んでみるべきなのでしょうか。

みんなはスタンプもらいのため、いちばん近くの岸和田断酒会などかに出掛け始めてい ます。入院してから二週間経過すると、断酒の例会参加を目的として閉鎖病棟の外へ出る ことができるのです。 

Pm、6:00、詰め所の郵便箱をのぞくと、おいちゃんのKei 宛ての手紙が、処理されないまま3 通もたまっています。聞くと、新館の事務の女性職員が、通勤の帰りにわざわざ旧館に回って郵便物を集め、バス停近くのポストヘ入れてくれ ているそうなのです。

手間を省いて、これからは直接新館へ降りていって、受付へ頼んで くることにします。この方法だと毎日1通づつ順番どおりにお届けできそうです。

おいちゃんの駄文が、Keiの少しでも気晴らしになればと思っています。読むのはめん どうですか。案外すでに”ツンドク”になってしまっているかもしれません。おいちゃん も退屈なのと気分晴らしに、毎日5枚をめどに手紙をしたためていこうと考えています。 悪しからず。

便箋に向かい始めて、ちょうど1週間になります。頭の回転も少し良くなってきたよう です。思い浮かんだことがすらすらと書けるようになりました。

流れに乗っているもう一つの処世術は、ソフトボールです。患者でUさんという人が います。副連絡委員をしている元気な熱血漢です。この男がソフトボールが好きで、天気 のいい日はいつもグラウンドで大はしやぎするのです。

おいちゃんが5号室にいる時から一緒にやろうと誘われていました。なぜ無理強いする のか、理由はわかりません。若手でちょっと有望そうなのが欲しいのでしょう。知らぬ間 に「エンゼルス」という名前のチームに登録されていました。

今日はポカポカ陽気です。練習を見学するつもりで野球場まで坂道を下ってみました。 フェンスの内側に沿って歩いていると、久しぶりで歩行しているという充実感がわいてき ました。S病院とW病院(分裂、老人)が、小高い丘の上に並んで建っていることを 初めて知りました。球場の横がK病院(一般)です。

M院長はピッチャーです。ものすごく速い球を投げます。患者と病院職員の練習試合 が行なわれます。開始前のウォーミングアップの時に、Uさんが「実力を見 させてもらう」といって、バッターボックスに立てというのです。 シートバッティングで15球ほど打たしてもらいました。

想像してみてください。2年 間飲んだくれていて、散歩以外にスポーツなどと縁のなかった人間が、動くボールを打つ のです。当たるはずがありません。yaには内緒です。空振りばかりでした。割りとゆっ くり投げてもらっているはずなのに、ストライクの絶好球がバットにかすりもしません。

「へたやなぁ」とは、Uさんの弁です。10球目以降になって、やっとバットの芯近く に当たるようになりました。でも、やはりyaに威張れたものではありません。必ず内緒 にしておいてください。yaには小学校三年生の今から、しっかりと野球の基本を学んでもらいたいものです。

将来、それを社会に出た時の楽しい野球につなげてほしいのです。会社では野球が少し上 手なだけで、どれほど周りから歓迎されるかわかりません。ヘタだったおいちゃんが恨み を込めて言うのだから間違いありません。  

次の「」は読書会で習ったことです。「命ある限り、あきらめないで、前向きの姿勢でいくこと」。何度酒を断つことに失敗しても、あきらめないように、と院長はしきりと念を押します。 反対に考えるとそれだけ断酒というものは難しいものなのでしょうか。全くいやな病気にかかったものです。ただいま少々落ち込んでおります。

(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)