終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

心臓バイパス手術前のドタバタ

冠動脈バイパス術前夜のドタバタをしたためた原稿が出て来た。

こういうのをネットにアップするのもブログの目的なので時間を取って打ち込んでみようと思う。

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前日、みぞ掃除の依頼をこなす。

歯科医院前の幅30センチ深さ50センチの溝に歯科技工の際に削られた石膏が丸2年分沈殿している。

毎年1回ある町内のみぞ掃除 昨年はパスしたので深さ20センチ、溝の長さにして約2メートルに石膏が溜まって白い泥のようになっていた。

みぞからガラ袋に入れるだけの約束をする。道路に尻つけ両足をみぞをまたぐように伸ばし作業にかかる。15センチ×20センチ角の小さなスコップを白い沈殿物に差し込んでいく。

仕事を続けている間は胸の痛さを感じなかった。1時間で終わる予定が全部終了したときは昼になっていた。

途中、10袋ほどの泥を捨ててほしいという契約に変更になる。みぞから便利屋の軽ワゴン車まで距離はたった7、8メートルであるが、水分を含んだ袋は重く、荒い息を吐きながらやり遂げる。

代金をもらい昼を過ぎていたので一旦部屋に戻ることにした。この時点で所持のニトロはは3錠だった。

昼食に何を食べたのか思い出せないが、金曜日、軽ワゴン車に積み込んだ『ドロ』は降ろしておかなければならない。

1時前に部屋を出る。南部開発(産廃処理会社)に向かう。

胸にきゅっときたのでニトロを1錠舌下に放り込む。残りは2錠である。

全体的にだるい気分は続いていた。週末の依頼を片づけほっとする間もなく、先々週に町内みぞ掃除代理出席をしたお客様から代金を撮りに来てほしいと電話がかかる。お金の入ることはオザナリに出来ない。

1時間の余裕もらい定時(午後4時)に上品寺町の客先に到達する。

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ご主人が3週間前に脳出血で倒れ、病院と仕事のやり繰りで奥様はてんてこ舞いらしい。

退院が決まったらまた家の方の片づけに来てくださいね、先行きにちょっと明るさを感じながら、集金のあいさつをして出た玄関先でチクリと出た胸痛を抑えるため、ニトロの力を借りる。これで残りは1錠となる。

くすりの効果で安定した夜を過ごす。午後11時に空腹を覚えソバを作って食べる。深夜の食事は控えているので、その時点での調子はそんなに悪くなかった。

次の日、イコール手術の日である。

前日の重労働のわりには朝の気分はいつもとあまり変わらなかった。何となく胸痛が来るような予感があったので、予防の意味でニトロを1錠口にできたらなぁ、の思いは消えない。

でも最後の1錠を舌下に入れてしまうと手元には何もなくなって土、日の夜を乗り切る自身がない。

土曜日だから医大は午前中は開いているだろう。次の胸痛に備えニトロを5錠は手に入れて置かなければならない。かすかな胸苦しさに突き動かされるように午前10時に部屋を出る。 

オークションの販売で1つ住所連絡がついていなかった分の届け先が判明したので包装してファミリーマートで手続きを終え医大へ向かう。

医大の正門へ便利屋の軽ワゴン車を乗りつける。居合わせた守衛さんに

「心臓の薬をもらうだけですから、5分ほど車を止めさせてください」

と許可を得て、ちょうど1台分空いていた端のスペースへ車を入れる。すぐに戻るつもりでいたので運転席側の窓は前回のまま・・・。

「緊急受付」の受診カードと保険証を提示する。10メートルほど奥の待合ソファーで待つように言われ、歩いて行く。

朝から続いていたかすかな息苦しさは亡くなっていない。

ソファーで以前に年末大掃除の仕事で行った工場の従業員の方と偶然に出会い、呼ばれるまでしばらくお互いの病状を話し合う。

白衣を着た背の高い若い医師が来て一つの部屋に案内される。

「これは薬とかの問題ではなくて、このままお帰しすることは出来ません。緊急でカテーテル検査をする必要があります」と、

ニトロをを5粒もらうはずが、カテーテル検査と大事になってきた。

検査には同意書書が欠かせない。連絡のつくご家族は?と問われる。「緊急」ということで着ている物を全部脱がされる。右足の付け根からカテーテルを入れるので周りの毛をそり消毒する。

その間にも携帯電話の短縮番号を頼りに病院スタッフが家族に発信続けるが、応答がない。"本人承諾"で検査をしようという声が聞こえたとき、別の医員から「弟さんと連絡が取れました」と耳元でささやかれる。

実はこの切迫したときの時系列はよくわからない。「奥さんとも連絡がつきました」という言葉が「検査の前」なのか「手術の前」なのかはっきりしない。

検査の後、恐ろしい説明を耳にする。

「3本ある心臓の冠動脈のうち2本は完全に詰まっている。残りの1本もらずか2ミリのすき間を血が通っているだけで、これはもう内科的な処置は無理で、外科の領域に入ります。このまま帰られても今夜に発作を起こし死ぬかもしれません」

どうする?こうすると考える暇はなかった。放置すると確実に冠動脈が3本全部詰まってますと死を宣告されたに等しかった。このときの決断に家族が立ち合っていたかどうか思い出せない。

わたしは"心臓バイパス手術をしてもらおう"と、わずか0.5秒の決断だった。

手術用の寝台車に載せられていくつもいくつも角を曲がって手術室に着く。手術台に乗り移るとき若い医師たちが6人がかりで体を持ち上げてくれた。

「だいじょうぶですからね」

執刀医の声に励まされる。全身麻酔の注射が施されわずか2秒ですうっと意識が薄れていく。

これが5月21日土曜日の午後5時である。次に目覚めたのは医科大学付属病院C棟3階のICU室で22日の朝午前7時だった。10日時間の大手術だったと知る。

「よかったですね」

執刀医の声が再び聞こえた。

簡単にニトロを手に入れようと訪れた病院で、循環器内科のカテーテル検査を受け、その後すぐに外科で心臓バイパス手術となったのである。あっという間の15時間の経緯である。

今は術後3週間が過ぎ、歩け歩けのリハビリ実行中である。退院の日も近い。

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遠い昔のできごとである。手術後7年が瞬く間に過ぎ去った。

便利屋稼業にすぐに復帰して現在に至っている。手術に使用した血管が足の静脈を使用しているので予後5年など言われたが、今でもなんとか元気に生きている。

1の工夫は薬を段階的にやめたこと。2は血液をサラサラにするために「青野菜」を積極的に摂っている。

もう後何年生きられるかわからないが、きっちりと自身を節制し、お世話になった社会に少しでも恩返しがてきたら良いなぁと思っている。