終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー21ー

「自己治療」 意志の力で断ってみせます 

am10:15、点滴も終わり穏やかな日曜日です。太陽も輝き久しぶりに陽なたぼっこが楽しめます。陽だまりが恋しいなどとは、まるで老人ホームみたいですね。今日は元気を出して外で遊ぼうと思っています。  

昨夜は血圧が高かったせいか妙に落ち込んでしまって、全てがむなしく病院からも逃げて帰りたい気持ちでした。「緑のタヌキ」もいつもならpm9:00まで我慢できないほどなのに、昨日はあまり欲しくはありませんでした。

けっきょく、癖で30分後に食べましたがpm10:00に掃除当番がなかったらあのまま寝ていたかもしれません。am10:30、もうすぐ昼食です。静かな時の流れに身を任せているとほっとします。

今の時間は外への扉も開いています。不自由には違いのないですが、なんとなく幸せな生活があります。安心してください。  

おいちゃんも酔いから覚めるとそう見捨てたものではありません。良い所、悪い所の選別眼はあるはずです。他人に交わって自己主張も結構できるようになりました。計画はおいちゃんの考えどおりに進んでいます。

ただ、一生どんなに苦しくてもしんどくても飲めないと考えると、過去のさまざまな場面をフイードバックさせてうんざりしています。自信も喪失します。でもあのドキドキさえなければ、何とかなるような気がこのごろ少しするのです。  

am4:30、点呼後すべてのドアが閉まります。明日am9:00までここは閉鎖病棟です。じっとしていると余計なことばかり考えます。体がだるい、胃が重い、悪いところだらけです。皆は元気そうに見えても我慢しているのでしょうか。  

他の部屋は布団を引きっぱなしにして多くの者は寝転んでいます。何回も病院へ入退院を繰り返している人たちはのんびりしたものです。慣れも手伝ってテレビを見たりコーヒーをすすったり我が家のようにふるまっています。その者なりに退屈はしているの でしょうが、おいちゃんの目にはうらやましく映ります。  

セルフ・メデイケーション=自己治療という言葉が目にとまりました。それを基に考えています。

依存症には病気の認識が先ず大切です。第三者的な立場から眺めてみて、患者連中には病識のない者がおおぜいいます。あくまで節酒でいくと言い張る者もかなりの数います。

1杯でも飲むと自分の意志で酒量がコントロールできない体になってしまっているのに認めようとしないのです。  

15号室のO氏は12回外泊をして12回失敗です。今回13回目の外泊でも飲酒して帰ってきました。今、「反省室」へ入れられています。

この人などは典型的な病識欠如者です。部屋ではいつも布団の上であぐらをかいて何かぶつぶつ言っています。よく聞くと、自分のことは棚に上げて娘の 悪口ばかりです。  

広告
 

この病院では点滴がある間は退院できないらしいのです。2カ月半も点滴の続いている人がいます。おいちゃんも入院前はかなりむちゃくちゃしていましたので、肝臓は相当がたがきているでしょう。まだ当分点滴からは解放されそうにありません。  

『破天荒一代』(小堺昭三)を読み始めました。新聞も開きます。テレビも座って静かに見ることができます。本も読み続けられます。A病院退院後のそわそわと落ち着きがなかった時と比較して天と地の差です。

昨年の3月を振り返って見ると頭が混乱してきます。胸が締めつけられます。よく気が狂わなかったと不思議でしかたがありません。

1昨年もそうです。森田療法にかかっていた時は精神の地獄のを味わいました。あれは生き地獄です。精神の錯乱をどこの病院どんな療法も治してはくれませんでした。ただアルコールだけが救いだったのです。  

あのころは、居ても立ってもおられない症状から、例え一時にせよ酒で逃れることができました。森田療法での治療からの帰り、電車の中で我慢出来ずに飲んでしまった酒で、ほんわかと神経は弛緩されたのです。

ああ、と酒で一心地着かせてもらいました。酒によって心の緊張は取り払われ、静寂が生じたのです。  

去年の8月から再び口にし始めた酒で「うまい」と思ったことは一度もありません。体の震えが欲するから心もそれに呼応するのです。

焦燥感(ドキドキ)を取り除くために酔いを求めて酒を流し込むだけで、アルコール本来の酔い心地を味わうことなど、け っしてない苦しい酒でした。

以上のようにして、おいちゃんは最後の2年間、精神安定剤の代わりに酒を飲んでいたようです。  

yaが小さい時、幼稚園のバラ組、菊組、小学校1年生の3年間、記憶はほとんどありません。自分の症状のことだけで精いっぱいでした。酒のために妻子を泣かし、職を失い、自身も地獄を見ました。

償いという言葉が頭にこびり付きます。皆が言うように今から償えるのでしょうか。第一の証明は酒を断つことで すが、完全な断酒がおいちゃんに果たしてできるのでしょうか。  

神経症の精神安定剤として酒を飲んでいたとすれば、もう逃れようがありません。明日の外出次第です。ドキドキさえなかったら何とかなるのではと思います。酒も意志の力でやまると信じます。たばこもやめることができたのですから、酒もどうか任しておいてください。

(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)