終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー22ー

「アルコールなし」 吐き気に耐え、我慢の連続 

am5:30起床、廊下掃除。当番も明日で終わりです。am7:00、体操、散歩、ひげそり、朝食といつもの決まった日課をこなしています。

しきりと吐き気がします。胃部を押すと堅くて痛いのです。これは何でも気にするという神経症の症状として取り合わないことにします。食事後はなぜかむかむかが少し治まってきました。  

体が震える、のどの奥が気色悪い、これらは全部心気症の一種です。しかし、放っておいても、しんどく感ずるものはしんどくて気力がぐーっとなえていきます。アルコールなしで生活が成り立っていくのかまだまだ心配です。出口のない絶望感をまた味わっていま す。  

am8:30、気分は少し落ち着いてきました。どうしょうもない自分自身に嫌悪感がわき上がってきます。それだけ過去の精神荒廃が身に染みているのでしょうか。何とも言えない不安感のために一度は死のうと考えたおいちゃんです。

今日これからのことを、しらふで実行するとなると怖くてしかたがありません。でも、道端で倒れようと、バスの中でもん絶しようとも、がんばって自分を信じ、前を向いて行くしかありません。  

昨晩は重苦しい気分に支配されてしまっていて、叫び出したくなるほどでした。酒なしでの外出を考えると高揚した気持ちが徐々に昔に戻っていくようで、山口百恵やテレサ・テンの音楽を聞きながらやるせなさをずっと辛抱していました。  

たった今、詰め所で外出用のシアナマイドを飲んできました。小量(2cc)なので味はわかりません。無色透明で水のような液体です。これを服用するとアルコール類がいっさいだめで、少なからずぞっとします。

途中で昔のような、居ても立ってもおられない不 安な状態が訪れたらどうしようかと思います。しかし、さいは投げられました。  

pm2:00、朝からのむかむかがまだ続いています。のどの奥の方、気管支から引きつつたせきが出ます。まだはっきり風邪が治り切っていないのでしょうか。  

Keiよ!バスで岸和田駅まで行って無事に帰ってきました。S病院のある「一の宮」停留所から、am10:16発の南海バスで国鉄東岸和田駅を経由し、南海岸和田駅へ向かいました。am10:40の到着です。

乗り物酔いに似たむかつきに耐えて、25分間立ったままバスに揺られていました。心配していたドキドキは少しもありませんでしたが、気温が上がったせいか自律神経のいたずらか、胸にべっとり汗がにじみ緊張の連続だったのです。  

駅前商店街をぶらつき久しぶりに外の世界を楽しみました。文具店にて手紙に張るシールを50円で、お茶屋で柿茶を500円で、本屋で週刊「ポスト」を200円で、駅の売店 ではサンケイスボーツ新聞を70円で買い求め、合計1160円也のつつましい買物旅行です。(往復のバス代、340円)  

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帰りのバスの中でもむかむかのしどおしでした。心は少しも晴れてゆきません。「やった!」の解放感が全くないのです。吐き気に耐え、しんどさにまゆをしかめ、我慢の連続です。

生きていくのが、めんどうくさくなってきます。気を取り直さなくてはとがんばってみても、体のしんにある疲れはなかなか取れそうにありません。  

歩いたり体を動かしたりしていると、しんどいなあ、の意識は薄れるのですが、立ち止まったり座り込んだりして、人と話をするようになると話半分という精神状態に陥ります。これさえなくなれば健全な日常生活が営めるはずと、もどかしさは募るばかりです。  

根本の肝臓も徹底的に治さなければなりません。普通だと入院1カ月で点滴はなくなるはずですが、おいちゃんの場合、まだ午前中の分が1本残っています。詰め所からは、いまだに何の連絡もありません。

「精神病院で内臓を壊すと処置なしやで」という声を聞きます。どういう意味なのでしょうか。点滴液はいちばん安価な「ボタコール」というのも気になります。  

3月8日(土)はおいちゃん1人で帰ります。そりゃKeiと一緒だと心強いですが、単独でだいじょうぶです。帰る途中で酒を飲むかどうかが心配ならご安心ください。

病院を出る時には抗酒剤(シアナマイド)を飲まされます。ドキドキが起こりそうな予期恐怖は今のところありません。家へたどり着くまでは何とかなりそうな気分です。  

今これを寝転んで書いています、体全体がだるいです。腕立て伏せやランニングのやり過ぎで筋肉が痛んでいるのだと思いますが、風邪の症状も合わさっているのでしょうか。ふろへ入りたいのですが今日はやめにします。

pm5:15、読書会が終わりました。何となくだるくまた寝転んでペンを持っています。ふろへは入ってしまいました。湯冷めしないように布団をかぶっています。  

何もする気になれません。2階へ上がって皆と話す気力もありません。しんどい、しんどいと言いながら院内の行事、仕事、私事の最低限はがんばっています。

でもどうにもやりきれません。これに耐えることで精神力が少しでも養われるのでしょうか。それなら、もう少し辛抱してみることにします。郷ひろみ、婚約おめでとう。ビデオとりましたか。

ya、元気か!お父さんは少し元気がありません。土曜日のヤンキースでのホームランおめでとう。勝ちこしのヒット、よう打ったな。  

yaはもうお父さんより野球うまくなりました。これからもホームラン打ちつづけてください。お父さんもソフトボールがんばります。明日、天気がよいと病院のグラウンドでで試合があります。  

公文の勉強はDになりましたか。お母さんのお手伝、しっかりやっていますか。

お父さんは土曜日に帰ります。キャッチボールをしましょう。宿題も一緒にしよう。なぞなぞもまたやろうな。お父さんはいま、いっしょうけんめいお酒をやめる勉強をしています。yaもおうえんしてください。  

ぜったいにお酒飲まないお父さんより。

(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)