終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー26ー

「6時起き」 規則正しい生活送り快眠

am6:00、起床。寝床の中で起きようかどうしょうか、うじうじと考えるのもめ んどうくさいので起き上がり顔を洗い布団をたたみました。

am7:00までの間、今日の昼から行なわれる地域ブロック断酒会(奈良、和歌山)の体験発表の草稿をねっています。  

昨晩も眠剤なしで眠りにつくことができました。pm10:00に就寝して次にふと目が覚めるとam00:30でした。

耳にイヤホーンを差したままでしたが、カセットテープの片面が回り切らないうちに寝ているのです。以前みたいにテープを裏返し裏返して、もんもんとすることもなく知らない間に夢の中なのです。  

これも朝の6:00に無理をして起きているからでしょう。規則正しい生活が身についてきた証拠です。昼寝なども別にしたいと思わなくなりました。眠くなってもごろ寝などしないよう我慢しています。

文庫本も読みたいし新聞、週刊誌にも目を通したいと、いろいろ意欲が出てきました。ジョギングも体操もソフトボールもウェイトリフティングもできる限りやってみたいのです。

院内の断酒会、酒害教室、読書会もあります。仲間と話をしなくてはなりません。小説の構想も練っています。毎日便せん5枚のノルマもあります。忙しくてごろごろしている暇などないのが現状です。

15号室では新人なので朝食のパン、牛乳配りがあります。11:00には昼食の配膳、2:00の牛乳配り、4:00の夕食の用意と、さまざまな仕事が待っています。

命令されてやっているわけではありませんが、おいちゃんの性格で手抜かりのないようにがんばっています。気配りのしんどさは想像以上です。  

尼崎のYさんが、肩の骨に入ったひびを専門的に治すため、よその病院へ転院して行きました。5号室の顔触れは1ヵ月でごろっと変わっています。先述の松葉づえのT氏と、78歳のJのおじいちゃん以外は見知らぬ人ばかりです。  

5号室での2週間が懐かしく思い返されます。あの時の患者仲間はバラエティに富み、いちばんにぎやかで充実していたのではないでしょうか。ばらばらになってしまった今、1人ひとりの顔を思い浮かべると寂しさが募ります。

入院時、おいちゃんにいちばん親切にしてくれたZ氏だけは、まだ特別室(長期入院が予想される患者の入る部屋)にいます。相変わらず所在なさげに巨体を揺すってぶらぶらしているのです。睡眠剤中毒の症状が出て、しゃべる時ろれつが回りません。廊下などでたまに会いますが、笑顔も消え前にも増してボケーツとしているようです。かわいそうでなりません。

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ペンギン歩きのNRは4日(火)に保険の手続きがあると外出したままその日は帰ってきませんでした。西成で焼酎を飲み三角公園で野宿したそうです。シアナマイド(抗酒剤)の有効時間内に飲酒したので心臓がどきどきして死ぬ思いを経験したと話 しています。

東岸和田の駅まで帰って来て意識不明に陥ったようです。ぐでんぐでんのNを見た外来患者の通報で病院から救急車が迎えに行きました。昨日、反省室から出てきています。禁断症状の影響でか体中が小刻みに震えています。目の焦点も定まりません。  

Nとは例のチキンラーメンのにいちゃんです。一日にインスタントのラーメンを7個も食べます。午前2時ごろから起きだして7時の朝食までに2個はいくのです。点滴が済むとお腹が空くと言って再び1個を袋から取り出します。

自然児を見ているようで、ある意味では学ぶところがあります。真っ正面から眺めれば完全にアル中のイメージそのものです。しかし、全く屈託がありません。くよくよと考えないところはよく見習わなければならないと思います。  

Nは反省室を出て2日目、皆に引っ張られるようにしてソフトボールをしにグラウンドヘ下りて行きました。決してうまくはないのです。4打数4三振、バットにかすりもしません。

振り逃げで走ればひょこひょこと小さな歩幅で両手を垂らして走ります。まる で氷の上をペンギンが駆けているようなかわいらしさです。  

おいちゃんは激しい運動に誘われても加わらず、マイペースというより臆病になってランニングに終始しています。体調が戻るまではあまりはしゃぎ回りたくありません。おかげさまで足腰はだいぶ良くなりました。

ふと、書いていておかしくなりました。この便りはいつ投函するというのでしょうか。明日は外泊して我が家にいます。しかたがないので帰途、東岸和田の駅前からでも出すとしますか。  

pm4:45、夕食後の休息を取っているところです。明日帰れると知ると、書くことが何も浮かんできません。今日も良い天気でした。青空がまだ広がっています。  

詰め所に呼ばれたので行ってみると預けてあるお金の残金が1805円しかないということでした。帰りの電車賃として1800円を出してもらうよう会計へ電話を入れてもらいました。

朝、会計に開い合せると2395円残っているというので安心していました。電話代、洗濯代として300円を引き出し明日は2000円を持って帰るつもりでした。木曜日の買物代金のつけが今日回って行ったらしく外泊届け出書類の請求額、2000円には少し足りなかったというわけです。  

おいちゃんの計算どおりですが使い過ぎのような気もします。来週からは無駄遣いのないことを約束します。pm、9:00の緑のタヌキはおいしくてやまりません。

たばこを吸っていないのがせめてもの救いです。酒もたばこもばくちもやめて、まじめな人間になることを誓います?  

(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)