アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー27ー
「外泊」 普通の生活に戻る自信わく
体の調子はどうですか。心配しています。妊娠中絶の手術というのは、ただかき出すだけで局部的なものと安易に考えるのは間違いです。相当な危険を伴った大手術だと認識を新たにしてください。
1週間は安静にしていることを約束してください。yaの用事も洗濯も必要最小限にして、体の大事を心がけるようお願いします。手抜き大明神のKeiちゃんのことです。だいじょうぶとは思いますが、くれぐれも気をつけてください。
pm3:15、電話代、洗濯代を引き出してきたところです。「預かり0円になっている」とさっそく言われました。帰院してすぐに詰め所で7500円を入金していたので、危ういとこでつじつまが合ったのです。今日からは簡易現金出納帳でも作ってちゃんと管理していきたいと思います。
自分の頭で考えたことを行動に移していく、勇気と知恵(コツ)を得ることができました。この1ヵ月間の入院生活で、130人の中でもまれたおかげです。心理のかっとうも少なくなり気持ちが非常に楽になっています。Keiも安心してください。
今度の外泊でなんとか普通の生活に戻る自信みたいなものが、全身にわき上がってきました。
相も変わらず眠くてだるいですが、今は昨年みたいに体の芯からという疲れはあまり感じません。気力で「よし!」と行動を起こせるようになりそうです。しんどいけど当面しなければならないことを臨機応変にこなしていく、これこそ森田療法の神髄そのものです。
今日は八木発am10:20の急行で病院への帰途につきました。天王寺で11:04の区間快速に乗り東岸和田に向かいます。阪和線の区間快速は堺と鳳に止まり、後は和歌山まで各駅停車です。
東岸和田駅に降りたのはam11:35でした。小雨が降り続いていました。風も橿原を出た時よりは強まっていたのです。
時刻表によると病院の最寄りのバス停、「一の宮」を通る”白原車庫”行きは11:32発です。すでに出た後でした。次のバスは12:32にしかありません。
待っているのがめんどうくさいので横殴りの雨の中を歩いて帰院することにしました。11:40~12:15。35分で病院です。
汗びっしょりになり息も切れます。あの坂道もゆっくりとしか上れませんでしたが、想像していたより疲れもなくドキドキもなく、また一つ自信がつきました。
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看護婦のR子さんがたまたま詰め所に居て意志の疎通がスムーズです。昼食をすぐに調達してきてくれました。電話で連絡していても通常なら外泊が延びると2週間の外出泊の禁止らしいのです。
R子さんは理由が理由だから主任に話しておいてあげると言ってくれます。おいちゃんもその件でO医師に面接を受けるように届けを出しました。規則ならばしかたがありませんが、いちおう説明をするだけはしてみます。
点滴と洗濯を済ませてこれを書いています。もうpm4:00で夕食です。
yaはそろそろ帰る時間でしょう。彼のことを頼みます。あまり怒らないようにしてください。テレビは毎日2時間以内です。注意するのが煩わしいといって、のんべんだらりと見せないことです。
見ないということだけで我慢の心も育ちますし、本でも読む癖でもついてくれたらもうけものです。少しずつ時間の余裕が生まれてくれば、9時には勉強も時間割り合わせも全て終わるといいですね。
そのためにはKeiも少し犠牲になってやってください。特に7:30~9 :00のドラマランド類は見せないように頼みます。
土産のあめは部屋の7人とYさん、Pさん、詰め所へ配りました。みんなは「心配」という好奇の目で見てくれていたようです。詰め所の連絡、予定ボードには赤いチョークで”外泊延期”とあったようです。
「いまごろ、熱かんで1杯やっているで、」「うまいやろな」など、ボードを眺めながらいろいろと想像をたくましくしていたそうです。
7、8人が「帰って来たのか」と声を掛けてくれました。心配して周りに集まって来てくれたこの数人が、おいちゃんの真の仲間と確認できます。
pm、5:00、緑のタヌキの時間が待ち遠しくてしかたありません。病院にいるときだけの癖ですから、どうかごかんべんください。ああ、早く食べたい。
突然ですが、3日坊主確実ですが英会話を勉強します。4月からテレビ、ラジオと平行でやり始めるつもりです。食後の30分と寝る前をその時間に割り当てます。それまではオーソンウエルズの声で「追跡」のテープを繰り返し聞いて慣らしておこうと思います。
酒を飲まないで、ほろ酔い以上の喜びを見つけていきたいと考えるのです。英語は喜びではありませんが一つの努力目標です。思い巡らせてていくと、あれもこれもとやりたいことだらけです。
しかし、あせらずにのんびりとやっていくしかありません。ペース配分はこの1カ月の反省で大局的な見方が少しできるようになりました。任せておいてください。
断酒会回りも同じ通うならS病院で1番に挑戦してみようかと考慮中です。退院後が勝負のこの病気のことです。あまりしゃかりきになることなく自己流で残り2ヵ月を有意義に過ごしたいものです。
(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)