終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー28ー

「自信と誇り」 毎土曜日は橿原へ帰ります

断酒カレンダー11に、<自信過剰は失敗のもと>とあります。恐ろしい言葉です。これがアルコール依存症の怖いところです。  

自信といえば、なぜおいちゃんにここまで自信がついたかというと、人前で少ししゃべれるようになったからです。断酒例会には話し方教室のつもりで通います。

「語り」の練習は2ヵ月も根を詰めればいいところまで上達するでしょう。そのとき、おいちゃんの神経症は完治します。酒もいらなくなります。しばらくは恥ずかしいのを我慢してがんばるしかありません。  

昨日は「大阪水俣病・チッソを告発する会」へ会費として千円を送りました。熊本日日新聞に掲載された水俣病三十年史、”湯堂から” のコピーを送って来てくれたからです。同病あい哀れむ?特急券代の350円とタクシー代の750円の節約で会費をひねり出したつもりです。  

Pm12:45、もうすぐ院内断酒会です。外来客の出入りが激しく、かしましいひと時が過ぎています。今週は同室のKさん(奈良中央)と、他にもう一人の合計二人が退院します。

今月になって患者の入退院が増え、準観察部屋の1、2、3号室から一階へ降りてくる患者が大勢います。次から次へとところてん式です。

2号室からF氏がこの15号室へ替わってきました。F氏はS病院A棟いちばんのいびきかきです。おいちゃんはただでさえ寝つきが悪いのでこれからの夜を思うとぞっとします。  

Pm3:15、院内断酒会が終わりました。いま手紙の投函を新館の受付に頼んできたところです。

15号室ではいびきの話でもちきりです。みんなはおいちゃん以上に神経質になっています。I 氏は、F氏のいびきに対してすでに「困る」と詰め所へ談判に行ってきたようです。

病院側は今晩一晩様子をみてくれということらしく、みんなは今夜だけは我慢しようとの考えです。でも「毎日ではかなわん」「わしも神経質だから」と全員でF氏を追い出す雰囲気です。かわいそうですがしかたありません。  

前に居た2号室でもF氏のいびきが「うるさくて寝れん」としつこく文句を言う男がいて、詰め所がたまりかねて15号へ移してきたようなのです。ここも出されるとなるとF氏はどこへ行けばいいのでしょう。

そんな心配より、やはりおいちゃん自身の体と精神状態を考えると他に方法はなく、早く出ていってほしい存在です。  

サラリーマン時代のヨーロッパ視察旅行のとき、一緒に行動したN化工のU氏の悩みを思い出しています。同室のK氏のいびきががすごくてU氏は旅の間中ずっと悩まされ続けていました。

疲れ切った表情はノイローゼ寸前の状態でした。U氏は毎晩のようにおいちゃんのところへ来て睡眠薬を分けてくれとうなるように言っていたものです。  

ほんとうにきついいびきだと一睡も出来ないと聞きました。辺りを震わすというF氏の往復のいびきとはどんなものなのか、今晩じっくりと味わってみることにします。  

さっき「人間は生きる権利はあっても、死ぬ権利はない。生きる義務がある」と、院内断酒会の体験発表で聞きました。正にそのとおりです。

おいちゃんは二日酔いのしんどさに堪えられず、これだけしんどいのなら酒で死んでやれと、逃れることばかりを考えていました。

酔っ払って狂った心身を持て余し、しんどいしんどいとのたうち回っていたのです。  

不整脈があると心臓を押さえ、

”はよドキンときて死んだらええ”とか、

右の腹部に激痛が走れば、

”肝臓がやられている、肝硬変の昏睡ででもいい、はよ死にたい”と

間断なく酒を口に流し込みながら、生きる義務を放棄していました。

いま振り返ると情けないかぎりです。惨めでもあります。家族に対してそういう姿しか見せることのできなかったおいちゃんは反省しきりです。  

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M氏死亡のニュースが患者の口を伝って院内を駆け抜けています。

以前、手紙の3、4通目の書き出し部分で知らせたことがあります。元市役所土木課の課長です。肝臓が悪くて顔色のどす黒かった人です。特別の点滴を受けていました。  

「ここでは治らん」と外泊のまま退院して3週間後です。おいちゃんとは一度5号室で隣り合った寂しい人です。驚いています。享年42歳。アルコール毒の恐ろしさです。合掌。  

O先生の面接がありました。外泊が一日延長した理由をしっかりと告げ、納得してもらいました。次の外泊届けは木曜日に受け付けなので明日提出するつもりです。

人に聞いた話では毎週帰ってもよいそうです。これから土曜日はできるるかぎり橿原へ帰るようにいたします。そのつもりでいてください。  

それからもう一つ。おいちゃんに糖尿病の気は全くありませんでした。肝臓もだいぶ回復していて、GOTはオーケー。GPTとガンマグロブリンの値がちょっと高いようです。もう少しです。

後は「断酒会に通ってください」とのことです。

あっ、胃の透視を近日中にやってもらえることになりました。せきのほうはだんだんと治まりかけなので様子を見ています。  

pm5:00より酒害教室です。水曜日は忙しいのです。

今日の酒害教室はスライド映写機を使って酒で悪くなる臓器のカラー説明がありました。怖いことですが酒さえやめていれば肝臓も心臓もやがて良くなっていくようで少し安心しています。  

大酒飲みの平均寿命はそのまま飲み続けていくと52歳~55歳だそうです。おいちゃんは、後15年しか生きられないととるか、まだ15年も生きられると考えるかです。

昨日の歩き過ぎの後遺症でしょうか、腰痛が不気味な引きつりを下腹部に与えています。しかし、堪えるぞ!がんばるぞ!

(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)

 

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