終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー29ー

「睡眠薬」 みんな眠ることには神経質

am6:00起床。眠い、だるいと言って床の中でぐずぐずしているわけにはいきま せん。何事も鍛練です。

夜中のam、3:00~5:00までうとうとしながら2時間は確実に寝ています。睡眠薬なしですからまあまあのものです。眠剤は癖になるというので、なるべく飲まないよ うにしています。  

入院前は眠れないから(一種の禁断症状)いっそう酒を飲んでいたのです。病院にいるとそれができないので、A病棟のほとんどの者は就寝前に争って薬を飲みます。

消灯寸前のpm、8:45から眠剤の配給があります。時間前になると詰め所の窓口はあっという間に患者で埋まります。そして、廊下に長い行列ができるのです。  

退院のときアルコールは切れても睡眠剤中毒になってしまって、どうしょうもなくなる者もいるそうです。

精神病院の薬は怖いのです。

おいちゃんのもらっている睡眠薬で、黄色の分はかなりきついと聞いてきます。自分でかってに軽い睡眠剤と思い込んでいたのです。知らなかったので最初の何日かは出されるまま1袋全部を飲んでいました。  

そんな翌日は昼過ぎまで頭がぼーっとして、まるで自分でないような虚脱感です。心配になって次の日から眠剤はきっぱりやめました。

赤玉というのがあります。yaのおもちゃの鉄砲のプラスチック玉くらいの大きさのやつです。これがいちばんきついのです。平たい錠剤で白いのもあります。

赤玉2個と錠剤と粉と、多い者はこれをいっペんに服用します(徐々には減らされるのですが)。白い粉はごく軽いものです。次が倍くらいの効き目の黄色い粉です。

だから1回に黄色い粉を半分を飲むのは大正解でした。みんなは眠ることに神経質になっています。その割に昼間寝ていたりするのですが。  

アルコール依存症の禁断症状一つとして不眠があります。

一昨年森田療法にかかっていたとき、確かにある種の離脱症状が出現していたのかもしれません。眠れないために酒を飲み睡眠薬を飲み狂っていったのです。

あれが結局、依存症初期の症状だったのでしょう。もう1年早くS病院へ入っていたら、どう回復いたか分かりません。

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A病院の隔離室に12日間とN医院の抗うつ剤、加えて昨年の8月から11月にかけてのあきらめに似た飲酒心理です。

A病院での50日がそわそわとした拘禁ノイロ←ゼ状の離脱症状です。そのぼけた精神状態をN医院の薬と安静が一時良好に向かわせてくれました。でもアルコールに勝る精神安定剤はありません。そう考えるのが今はちょうどよいのでしょう。

心の隅にはまだ現在までの錯乱した精神が残っています。バスに乗っていてドアが閉まりドキドキしだしたらという、数限りなく経験した不快感が予期恐怖を呼びます。

倒れることはない、自分で想像していることは決して起こらないと頭では理解出来ていても、体と心が恐怖を知っているのです。

酒で解消されていた不安恐怖が、断酒によりかなわなくなります。これからどうなるのだろうという落ち着かなさに対して、先の3月3日の岸和田駅行きが最初の恐怖突入でした。

自信が少しずつ生まれています。まだ完全ではありませんが、”自信”が人間の精神に及ぼす影響の大きさを知りつつあります。

プロ野球の選手がノミの心臓といわれ、大事な場面でびびっている光景をよく見かけます。四球を連発したり、みいられたようにホ ームランボールを投げたりするピッチャーがいます。

その投手が1勝することによって自信を獲得します。以後見違えるように成長するのです。自信を得てたくましくなったと表現するのがそのことです。  

おいちゃんにはその自信を得る場所が今までなかったようです。それだけ甘ちゃんに育っていたのかもしれません。ひ弱さを酒でごまかし続けてきた人生です。

不惑の歳になってやっと、とっかかりをつかみかけています。生きるということについてちょっと1段高い所に上れたようです。プレッシャーに押しつぶされていた大阪でのサラリーマン生活を思うと感慨はひとしおです。  

Pm8:20、せきが止まらず体もだるくてたまりません。やはりこんな時は昔の癖で飲みたくなります。気がなえていくのがよく分かります。貝塚の断酒会に行く予定をキャンセルして布団に潜り込んでいます。

断酒の誓い
1、私は1日1回静かに内省し、心の鏡を磨き懸命に努力します。
1、今日1日、1杯の酒を飲まず、1日を積み重ねていきます。
1、私は、我を出さず、常に和を作るように努力します。
1、私は、1日も早く断酒し、社会復帰をすることを誓います。

(あすなろ会)  

今日も、1 日断酒、例会出席でがんばります。

(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)

 

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