終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー30ー

「完治の確認」 急行に乗って大阪に行ける

森岡洋著、『アルコール症の正体と治し方』

ーーーーーーここから引用ーーーーー

「アルコール症は病気であるから、正しい方法で治療する以外に治る道はなく、ただガミガミ小言を言ったりお説教したりしていたのでは、病気の進行を早をめることにしかならない」

「ごく小量のアルコールでも体内に入ると、治まらない状態をコントロール障害という。つまり飲み過ぎを抑える力がなくなってしまったのである。これがアコール症の最も基本的な症状である」

「家族の方は、アルコール症者は、コントロール障害という点で、普通の人と全く体質が違うということをよく覚えていてほしい。そうすれば、<わたしはお酒をやめようと思えばいつでもやめられるのに、あの人はどうしてあんなに意志が弱いのかしら>などと、誤解に基づく非難をすることもなくなるであろう」

ーーーーー引用ここまでーーーーー

という単行本を借りてきました。  

途中でボールペンのインク切れです。入院して便りを書き始めて1本使いきりました。早いもので1クール(3カ月)の半分が過ぎようとしています。

家から持ってきたボールペンはインクが出過ぎて書きにくいです。達筆も下手に見えます?おいちゃんは大いに筆を選ぶ凡人でしょうか。

S病院の断酒会・いずみ会の家族例会は大盛況でした。Mさん御夫妻も来ておられます。ちょうどおいちゃんの前の席が空いていたので、案内して座ってもらいました。奈良県からは合計4人もの先輩が来ていたのです。

「本当にやめようと思っている人は50人に1人くらいなんやから、他の人はあまり気にせんこと」と夫人に言われました。全くそのとおりだと思います。  

のどの痛さを除いてせきは相変わらずですが体の芯にいつものだるさはなく、だいぶ楽です。体に疲労感がないということは、なんとすばらしいことでしょう。こんなすっきりとした気分はこの5年間にありませんでした。

気の持ち様からくるだるさか、だるさからくる気のうっとうしさか、よく分かりません。目の前の一つひとつを処理していくことにより、ありのままの自分を知ります。小さな開放感の積み重ねを味わうのです。

ようやく森田療法の神髄に近づきつつあります。「不安、恐怖は自分の仲間と悟りなさい」と言われたことが、いま、実感として理解できるのです。簡単に表現すれば怖がりであることを認められたということになります。

森田正馬は「生き地獄」と著書に書いています。生き地獄から酒の助けを借りて逃れ、今回、断酒会の仲間のおかげで酒から離れようとしています。昔の元気はつらつとしていたおいちやんに戻りかけているのです。

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「あせらんで、のんびりやりや」とMさんは言ってくれます。おいちゃんにはやることがいっぱいあり、その言葉に従っていけるか確約はできません。

「絶対に酒やめてもらわなあかんからな」と西成のアンコYさんにもよく励まされます。「読んでみな」と、自分の参加した断酒例会で会誌などをもらってきてくれます。  

今年でおいちやんは40歳ですが、早く気がついてよかったと思うのです。「せめて、もう10年早かったら」と昨日断酒会で話をしましたら、「それは欲で、40歳なら早い、もう絶対やめなさいよ」と忠告されました。せめて仕事を失う前にというのも欲でしょうか。  

おいちゃんには美人の?嫁さんと可愛い子どもがいます。酒をやめ続けることにより、今までに失ったものはきっと取り戻せるはずです。もう一歩突っ込んでアルコール依存症になって良かったという日が訪れるのを期待します。  

阪和線の東岸和田駅を降りるとすぐバス通りです。そこを右に曲がって踏み切りを渡り、横断歩道を左折します。線路に沿って真っすぐに行くとトークタウンという専門店街があります。

その中心がスーパーのニチイです。大和高田のオークタウンの3倍はありそうです。大阪のベッドタウンのショッピング街は、いくら田舎の岸和田といってもスケールが違います。

バスの時間待ちでぶらつくのですが、30分が短く感じられました。これからは帰院の途中が楽しみになりそうです。 

アルコール依存症で神経に異常をきたしていたころ、病気の完治を何を根拠に確認するかという問題が常にありました。それは近鉄電車の”急行”に乗って大阪へ出ていけたときと漠然と想像していたのです。  

急行電車に乗って大和高田以遠にはなかなか行けません。高田までは5分です。これくらいなら閉じ込められても我慢できます。しかし、高田を出てドアが閉まると、そのまま30分近く鶴橋までは何が起ころうと降りることができないからです。

そう考えるとドキドキの予期恐怖が生じます。その気持ちがこびりついている間は、どうしても高田から先へ酒なしで行くということは不可能でした。  

今日で2回、急行に乗って大阪へ出ることができました。高田を過ぎても心は平静です。完治です。

昨日も、無理するな、特急で行けば楽じやないかと恐怖をあおろうとする心がおいちゃんにささやきかけます。でもまあいいや、で解決です。

明日しんどかったら、特急で行ったらええ。今日はなんとなく急行でいけそうだからと心が恐怖に打ち勝ちます。

思っているようなことは決して起こらないと感じながら、心に不安を浮かび上がらせたままにしておけたのです。  

今朝もam、6:00に目が覚めて「特急券を買いに行こうか」と一瞬安心を求める心がよぎりました。5年かかってこびりついた感情はなかなかしつこいものです。でも急行で大阪へ出れました。バンザイ!

(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)

 

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