終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー31ー

「宴会係り」 しゃあしゃあと「頭脳労働」

ーーーーー引用ここからーーーーー

『連続飲酒発作を起こしたアルコール症者の生活は、呪っているか飲んでいるかのどちらかになる。それ以外にすることといえば、飲むための酒を買いに行くくらいのものである。

歯もみがかないし、ひげもそらない、ふろにも入らない、こうして飲み続けていると、やがて食物を受け付けず吐くようになるが、吐しゃ物の後始末さえしない人が多い。そして、胃の中には酒しか入っていないようになるが、それでもそのまま食事もしないで飲み続ける。

こうなると体力が弱ってきて、トイレに行こうとしても足元がふらついて間に合わず、失禁することもある。

それなのに、不思議なことにどういうわけか酒を買いに行く時だけはシャンと歩く。しかし、それも長くは続かず、ついには酒も受けつけなくなったところで飲むのが止まってしまう。』

ーーーーー引用ここまでーーーーー 

起床はam7:15でした。昨日の疲れが出たのか、夜は睡眠剤なしでぐっすりです。

昼間、無理のない籠囲で疲れることにかぎります。

書き出しの『 』の文章は、当院長H・M著の中から抜粋したものです。読んでいてなるほどなと気に止まりました。吟味してみてください。

依存症者の家族も病気である、ということを徐々に説いていきたいと思います。M医師の本意もそこにあるようです。  

am8:50、もうすぐ点滴時間です。起床後、また、いつもの代わり映えのない入院生活が始まりました。洗顔、体操、散歩、朝食(コーヒー飲む)、英語のカセットを聞くと、まあ退屈している暇はありません。

こういうふうに考え行動ができるということは、だいぶと体調が戻ってきた証拠でしょう。うれしいことです。ひとりでに眼が外へと向きます。表へ出たくてしかたありません。  

20日には近くの泉光寺へ散歩に出掛けます。今日詰め所に届けを出してきました。この寺は岸和田城主、阿部の殿様の菩提寺です。歩いても行けそうな場所なのでどんな所か散策してきます。  

ペンギン歩きのNRが仲間のAに引っ張られて病院から逃亡したそうです。毎朝6時にゴミ捨てのため5分ほど入り口のドアが開きます。そのすきをねらっての脱走だったようです。外泊から帰えってすぐYさんから詳しく聞かされました。  

Yさんは同じ西成のアンコということもあり、2 号室では隣に痩ているNを子分のようにかわいがっていました。周囲もN・Yコンビと認めた仲でした。

NとYの名前の頭文字をとってNYです。共に西成の日雇い労働者(アンコ)です。「Yさんの名前、成本さんやったら、西成コンビやのになあ」と和気あいあいの時もありました。  

NRが2階の2号室から1階の12号室へ部屋替えになったとたんの出来事です。そう、NがYさんの手元から離れるのを待っていたように今回のトンコ事件は起こりました。
Y「Nはアンコでも最低のクラスや」。
おいちゃん「Nさん、どうしてるんやろな?」
Y「ルンペンや、かわいそうやが。パァプゥや」

Nさんのたどる道は分裂病棟もしくは野垂れ死にです。

Keiに送ってもらったNさん用のチキンラーメンはもらい手がなくなってしまい、ダンボール箱に重ねられたままこの手元にあります。  

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昼食後、新館の階段の所で軽い運動をしました。10段ほどの階段を20往復します。

5往復ごとに休憩をとって1時間程度のものですが、足腰は確実に回復に向かっています。首から上のリハビリも、まずは健康と考えられるようになりました。そして鍛える順番 は足と腰です。

このように少しですが順調に良い方向へと向かっているようです。もうしばらくの辛抱です。  

pm3:10、詰め所にO医師が居ましたので今週末の外泊のことを尋ねてみました。試験的に3泊してもよいとのことです。21日(金・祝日)の点滴後に病院を出ます。yaとキャッチボールを楽しみに晴れるのを祈っています。  

今日、依存症そのものという人に出会いました。おいちゃん達の反面鏡です。サラリーマンをしていたというだけで威張っています。

Hという大財閥系列の名前がお気に入りなのです。エンジニアリング部門の造船設計課で宴会係をしていたと得意気です。  

頭を指差して「私は肉体労働者と違ってここばかり使うので神経が疲れ、2、3合で酔う」と、しゃあしゃあとのたまいます。

おいちゃんが考えるのは、偉いのはHという会社であって、自分は少しも人間的に立派でないということを理解していないようなのです。肉体労働をするから1升飲めて、頭脳労働だから少ししか飲めないとの説明も偏っています。

黙って聞いているとおもしろいのです。宴会係だから毎日飲むのだそうです。2合くらいで酔っ払い、深夜、家に帰ると寝てばかりで、暴れるでもなくおとなしい酒だったと言います。

奥さんも仕事を持っていて、酔ってごろごろしていることに文句ばかり言っているらしいのです。酒の害といえばただそれだけのことで、私の症状は宴会係から外れたら酒などすぐにやまると言い張って聞きません。

転勤を交渉中だそうです。果たしてほんとうでしょうか?

(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)

 

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