終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症を治す方法(自分流)

わたしはアルコールを断って32年になる。

(途中1度だけ危ないときがあった。夏に早朝の草むしりを依頼され作業終了後にお疲れさまと梅ジュースが出た。

梅酒を薄めた液体だった。1口飲んで分かったので理由を言って下げてもらった。)

酒はたばこ以上にやめにくい。

両方一度にやめたことがある。たばこはそのまま35年以上吸っていないが、酒はそのときはだめだった。

たばこの禁煙に何度も挑戦した時のことは鮮明に覚えている。何日かやめ続けても我慢できなくなってちょっと1本吸うとダメなのである。なし崩しに2本3本と吸ってしまう。

上記最後の禁煙挑戦のときはたばこを口にくわえてライターを持った手をたばこに近づける。カチッと火をつけると吸えるのだが、寸前で思いとどまった。

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(飛鳥川、小房町辺り)

酒も同じである。何日かやめてビールでもちょっと1杯流し込むと2杯3杯と増えていく。元の木阿弥、やめる前の状態に逆戻りしてしまう。

アルコールもたばこも"依存"を伴う薬物である。

どこで酒とたばこのやめにくさの差が出るのだろうか?それはたばこには身体依存がないからである。

酒の身体依存はすさまじい。体が欲してくる。いわゆる薬物としての禁断症状である。

イメージとして分かりやすく絵で説明すると、牢屋のような独房でベッドに縛り付けられた麻薬患者が次の麻薬が体に入らないため、禁断症状でのたうち回っている。

アルコールの身体依存はこれと同等のすごさを潜ませている。

アルコール依存症者は血中からアルコール分が切れるとそわそわし始める。体が小刻みに震えてくる。この禁断症状が怖くて飲まないとおられないのである。 

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わたしは38歳から40歳までの2年間、禁断症状にのたうち回った。

1家の大黒柱であるからアルコールを断とうとする。

そのときは分からなかった。やめようとすると心臓の動悸が出現する。日記にはドキドキと書いている。

不安感を伴ったドキドキが飲酒の根源である。酒をやめようとするとドキドキがきつくなる。このままどうにかなってしまうのではないのか?という不安感が増大する。パニックになるのである。

このひどい症状が、アルコールを摂取するときれいさっぱり消失する。

2年間、わたしは自分が何でこうなるのか全く分からなかった。仏にもすがる。(近所の観音様に般若心経を書写し毎日届ける)、精神治療の森田療法にも通う。

新聞のチラシにアルコールもやっています、という病院の宣伝にすがり付き受診し、すぐに精神病棟に閉じ込められる。抗うつ剤も果てしなく服用した。

全てが無駄であった。最後の3週間は業界用語で言う"連続飲酒発作"に襲われる。酒がやめられなくてひっきりなしにのどに流し込んでいく。目が覚めると苦しくて次の酒を口にする。今だとわかる。薬物としての怖さである。

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1986年2月にアルコールの専門病院と巡り合った。4ヵ月の入院中、アルコールの害のさまざまことを勉強する。

退院の日に自助グループ参加を勧められる。医者「私たちにはアルコール依存症は治せません。自助グループにつなげるだけが役目です」

アルコール問題の自助グループには断酒会とAA(キリスト教系)がある。

わたしは毎日毎晩断酒会に通って自分を語っていく。

断酒会の仕組みは例会の午後7時から9時までの2時間、誰が差配するでもなく5~10人の参加者が言いっ放して自身の体験談を語る。

一切注釈は入らない。ただ参加者が他の話を聞きながら洞察(気づき)を深めていく。

要するに他が語っていることが鏡になっていて過去の自分を発見して気づきを得る。

わたしは最初の年は年間300回以上断酒例会に通い自分を語り続けた。

地域には自助の断酒会支部が張り巡らされていて通おうと思えば毎晩どこかの支部例会に顔を出すことが出来る。(いまは会から離れている)

古い例で言うと水原弘や石原裕次郎、美空ひばりなどみんなアルコールで命を落としているようである。

飲み続けると酒害者の平均年齢は52歳らしい。わたしは41歳のときに専門の病院と巡り合い助かった。"20年やめて60歳なったらまた飲むぞぉ"と宣言しそこも無事に通過して現在に至っている。

アルコールがやまった次の年にわたしは便利屋を一人で開業する。お陰さまで今まで細々と続いている。

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掲載のマルちゃんの"たぬきそば"はアルコール専門病院に入院中の思い出の食べ物である。

閉鎖病棟で火が使えない。ストーブの上のヤカンにお湯が沸いている。夜食のラーメンなどはカップラーメンに限られていて、患者仲間に散髪屋が居て髪カットお礼にラーメンが渡されたりする。

最初"緑のたぬき"を作ったとき、わたしは作り方を知らず出汁の小袋を破らないままお湯を注いでしまった。それから入院中の4ヵ月間、お金に余裕があると売店で緑のたぬきを購入して毎晩すすったものである。

アルコールの問題に悩んでいる家族の方は、地域の保健所などに解決の相談窓口がある。

断酒会の例会に本人抜きで先に参加する方法もある。(ある意味で伴侶のアルコール問題が"病気"と知れば一息つけるかもしれない。) 

ネット時代である。非営利法人ASKにもアルコール関連問題の情報があふれている。https://www.ask.or.jp/article/alcohol;

 

 

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