終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー34ー

「yaへ」 この1年よくがんばったね

以下は『アルコール中毒』、なだ・いなだ著からの引用です。--アル症へのさまざまな道--。やっと見つけたという感じです。少し長いですが読んでみてください。

ーーーーーここからーーーーー 

『神経症.不安の非常に強い神経症の患者は、酒に酔うと、一時的に不安を忘れることができる.劣等感が強く、気が小さく、人前に出ると思うことも言えない、また人の前では、緊張で体がかたくなり、気分的に疲れる人もいる。

不眠症で、夜眠れない人も、体のあちこちの調子が悪くて、酒を飲むと、それらの症状が軽くなる人がいる。それらの人は、神経症的な基盤を持っているわけだが、それから一時的に逃れるために酒を飲むのである。

それであるから、病気そのものが治らないかぎり、飲む理由はいつまでもなくならない。そこで持続的な飲酒になるのである> 。彼らは不安を心に抱き、それ故、自分自身に対して強い不満を抱いた、内向的な人間であるといえる。

彼らにとっては、アルコールはある意味で、自分の心の悩みをいやす薬に等しい。しかし、効き目の短い、一時的な薬でしかない。

酔いが覚めればみすぼらしい自分を見つめねばならない。いや、酔った後で、失敗をしでかしたりしていたら、自分自身が余計にみじめなものと思える。

それ故に酔いから覚めることが恐ろしくさえある。つい飲み過ぎる。覚めかけてきたのを感じると、どうしても飲まずにはいられない気がする。

このような人間は、かなり厳格な両親に育てられたような長男である。』

 -----ここまでーーーーー

am8:15起床。昨晩、睡眠薬を半錠飲んで寝たので目覚めはだるくてしかたがありません.いつもより2時間も遅く床を抜け出しました。

朝食抜きで点滴を打って、さっき2階から降りてきたところです。 

もうすぐ昼食の配膳の手伝いがあります.今日の便りは短くなりそうです。昼食後、一服してからすぐに散歩に出ようと思っています。悪しからず。

yaあてに手紙入れてます。よくがんばったとyaを褒めてやってください。何もわからぬとはいえ、この1年間、yaはよくおりこうさんにしていたと思います。

できることなら、もっと丈夫で健康な子に育てて行きたいのです。Keiもどうか協力をお願いします。 

今日は少し寒いですが、ちょっと泉光寺まで出掛けてきます。何もないお寺だとは思います。でも、せっかく岸和田に来ているのですから歴史の勉強のつもりです。  

ya がんばっていますか?。お父さんは元気に過ごしています。月曜日は終業式ですね。3年生の思い出はいっぱいありましたか。 

人間が生活していく時、良いこと楽しいことばかりではありません。yaはこの1年間よくがんばったと思います。

いまはまだわからないかもしれませんが、もう少し大きくなってふりかえって見ると、yaの小学3年生は大事件ばかりでした。これからも苦しいこと、つらいこと、痛いことなどいろいろあることでしょう。 

何があってもめげずに、いっしょうけんめいがんばって生活していってください。

いっもyaにはお父さんお母さんがついています。yaの考えで、やりたいことに努力してください。

春休みにはまだお父さんは病気で帰れませんが、公文や漢字や野球に力を入れてください。お父さん。

続き
外出にはまだ寒い曇り空でした。春は名のみ、風も冷たく途中までは両手をポケットに突っ込んで歩きます。

国道沿いの道を少しそれた所に泉光寺はすぐ見つかりました。徒歩で20分くらいです。

周りを小山のような森に包まれた、想像どおりの粗末な寺で した。屋根のわらぶきが少し風情があり、旧岸和田城主・初代阿部宣勝の隠居所らしいたたずまいです。  

普通の寺にあるような本尊も見当らなくて、敷地の奥に歴代城主の墓が13基、ひっそりとありました。

下図のような宝塔が並んでいるのです。徳川治世下の大名の栄華をひしひしと感じます。(当時の手紙から接写する)

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梅の木が5本、白い花をつけていました。ひなびた中の白梅はおいちゃんの好みです。  

方向を変えて東岸和田へ向かいました。おいちゃんらしくずっと徒歩です。

ニチイの中を1時聞くらいぶらぶらしましたが先立つものがありません。寂しく惨めな40歳を味わいます。

あめを2袋買い、空模様がおかしくなってきたので帰りはバスに乗りました。  

たった今、久しぶりでふろに入り気分そうかいです。湯冷めしないように気をつけていますが、昨日より今日は少し肌寒く、足元がすーっとします。相変わらずのどが痛く時々のどあめの世話になっています。  

NRは帰ってきません。連れ出したAが反省室から出て11号室へ入りました。皆より総スカンをくらい、とうとう第3病棟(分裂病)へ降ろされます。

まあまあの決着だと皆は満足を得ていました。Nも帰ってきたら、おとがめなしという病院の温情判決が出ているのです。  

いろいろと事件を織り交ぜながらおいちゃんの入院生活も55日が過ぎようとしています。A病院のきと比べ実りのある日が続いています。安心していてください。 

(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)