終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー36ー

「断友」 1杯飲めばああなる

 岸和田城へ行ってきました。

風は少し冷たかったのですが暖かい日でした。マフラーをするほどでもありません。

岸和田城の起源は1334年(建武元年)楠正成が中興の功により和泉地方をもらい、代官として身内の和田高家を派遣したのが始まりです。

入館のしおりに次のようにあります。  

「徳川時代になって城主の松平康映が国替えになり、1640年高槻から岡部宣勝が移封され明治までに至る。13代、5万3千石。藤(ちきり)城ともいう。

本丸と二の丸が独立して濠をめぐらし、細い陸橋でつないでいる姿が織機の一部のちきり(たて糸を巻き 取る部分)の形に似ているところからそう呼ばれる。

千亀利城。 1827年の秋に落雷で消失し、昭和29年に現在の三層五重の天守閣になる」  

春がすみで岸和田の町はぼやけて見えました。桜のつぼみが膨らみ、次の日曜日あたりにはちらほら咲き始めることでしょう。

来週は久米田池へ花見に行きます。今日、詰め所へ届けを出してきました。早いもので、来週の火曜日から四月です。  

この泉州地区にもいくつかの断酒会があります。岸和田断酒会の下には4つの支部があり、大北、光洋、久米田、信太山です。S病院で認めていないNというのを入れると5 つです。  

Nはまさに飲んべえの集まりです。自ら落ちこぼれの集団と称し好き勝手に動き回っています。先の4支部からは絶対に相手にされません。会長本人が会の席に酒を飲んでくるのでしかたがないのです。  

広告
 

おもしろいことがありました。S病院を10月に退院したW氏は、院内断酒会のいずみ会に来て毎週立派な体験談を披露していました。

後で分かってみると、どうも飲んで出席していたらしいのです。

昨日は(水曜日)は酒が止まらず、ぐでんぐでんになって来院しそのまま断酒例会に出席することもなく反省室を経て入院とあいなったわけです。

院外では病院の悪口をさんざん言っておいて、しんどくなったらこのていたらくです。  

それが依存症であると言ってしまえばそれまでですが、なぜかむなしさが込み上げています。

おいちゃん達は2月下旬より院内の断酒会へ出席するようになり、W氏の姿を断友の先輩と見ていたわけです。なんや、格好悪いなあ!という結未です。  

W氏は5号室から出て酒のにおいをぷんぷんさせ売店で買物をしていました。皆は白い目です。話し掛ける者はだれ一人としてありません。

1杯飲めばああなるという、おいちゃん達の明日の姿です。  

Pm5:00、天理高校が関東一校と熱戦を繰り広げています。ちょうど5:00に山下が逆転のホームランを右翼席に打ち込みました。4対2。

あっ、また2塁打です。明日もおもしろい試合だといいですね.  

このごろ、いろいろと忙しくて手紙を書く時間がありません。(その分テレビを見る時間が増えているだけ、という陰の声も聞こえます)。

漢字の書き取りも、英会話も思っているほどはかどりません。昼寝もよくするようになりましたし、まあ、従来の怠け癖復活といったところでしょうか。

(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
応援ありがとう