終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

心臓バイパス手術から7年半

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(県立医大 南側駐車場)

手術日は2011年5月21日だった。

それまでカテーテル検査の10万円が工面できず、投薬だけで当面はしのいでいた。

その日に手術が決まったのは全く偶然である。

↓ この記事に前夜&当日の右往左往ぶりが詳しい。 
狭心症の頓服(ニトロペン舌下錠)が手元に1錠と乏しくなったので緊急で貰いに行った。

5錠ほどもらってすぐに病院から帰るつもりであった。

かかっていた循環器内科の主治医の見解と、緊急で跳び込んだ救急救命室担当の見立ての違いから

「このまま帰すわけにはいきません。このまま戻ったら夜中に死にますよ」とまで言われてカテーテル検査から→外科手術となってしまった。

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手術は10時間に及ぶ大手術だった。

わたしは曲がりなりにも前日まで便利屋の仕事に「しんどい」と言いながら従事していた。

その日にニトロペンが処方されその年の夏から秋へと何とかだましながら進んでいたとすると同じ年12月の妻の甲状腺がん治療の入院手配からその後の回復過程の支援はできなかった。

2011年12月27日に10年ぶりに息子から「お母さんが倒れた」と電話がかかったとき対処できなかったら妻も息子もわたしも今ごろは生きていなかったかもしれない。

5月にわたしの手術を差配した天上の何か大きな力を感じずにはおられない。

ちょっとオーバーに表現するといま生きているのが奇跡なのである。

 

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