終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー42ー

「投稿」 「病気」の概念浸透させたい

am7:00、起床。

7:30、朝食。薄切りの食パン2枚にバターをつけ、重ねてかぶりっきます。

口の中には小麦粉とバターの味がするだけで、それをコーヒーでのどの奥へ流し込む味気なさです。

朝方の冷え込みに震えながら大急ぎで食事を済ませます。

睡眠はじゅうぶんのはずですが、どこか本来の眠りではないのでしょう。起き抜けの体はむしょうにだるく、精神はぼんやりとまだ夢の中にいるようです。

なぜこんなのだろうと思いたくなっても、しばらくその感情ははうっておくことにします。

心に浮かぶことを無理に操作するのは強迫観念の一つです。

不安は不安のまま浮かび上がらせておきます。

そのままにしておけば、人間の感情はやがて転じて消滅します。人生の達人になるにはこの方法しかありません。

心に浮かぶ思いは思いのままにして、当面しなくてはならない建設的な仕事に精を出します。

体を動かすのです。そうすることによって不安と欲望の均衡がとれてきます。

不安は夜空に浮かぶ月のように、あってもなくてもよいものと化するのです。

とまあ、森田療法の教えは理論では分かっていても、いざ実行となると恐怖が勝ってつらいのです。

苦しいから患者1人では恐怖突入の継続が成し遂げられません。信頼できるカウンセラー、精神科医の必要なゆえんです。  

うつ状態は眠っているうちに脱したようです。いちおう曲がりなりにも段ボールの机に向かっていられるだけの気力が回復してきました。

うつに陥ると体がだるく何もする気になりません。根気もなくなります。考えがまとまるまとまらないは、それ以降の問題です。

便せんに自分の考えを書き連ねていけるということは、今はうつ病から少し遠ざかっているようです。  

根気は昔からありません。あっても頭の中の架空のもので、飲酒していた時は酔いに任せた空想もあったのでしょう。

脳にある思想を4肢に移して行動してみると、いみじくもKeiちゃんの指摘どおり、おいちゃんは”熱しやすく覚めやすい”性格そのものです。

酒と同じでコントロール不能に陥って、事に仕えることは長続きしません。

英語しかりです。ウォークマンで「追跡」をぼんやりと聞いているぶんには、それ程めんどうくさくは感じません。

頭をフルスロットル(全開)にしてまとまった数の単語を覚えようとするとだめなのです。

口を開きぶつぶつ言って文を暗唱することはかなりの苦痛を伴います.  

もう一踏ん張り、踏み止まって英語の一つの壁を破れるかどうかは、これからの断酒と同じで、意地でも乗り越えていかなければならない障壁です。

周りを英語漬けにすることです。

週2回、テレビで英会話1を学びます。歌は英語の曲に限定します。

英語でポルノを読み、外人とつきあい、ペンパルも英語圏に求めます。  

何ですかこれは? 

依存症者の性格そのものではありませんか。頭ではいつもすばらしい計画が進み、ばら色の未来が広がるのです。でも実行出来た試しがありません。

今日は花祭りです。いつか行った和歌山の根来寺の桜は今が見ごろでしょう。

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昨日、帰院途中に電車の中から見えた大和高田駅ホームの桜は最高でした。

駅舎にかぶさるように咲いていた2本の満開の桜の木は一瞬ということも作用して華やかさは近来にないものでした。

遠見の桜は満開のものに限ります。

1メートルくらいに近付いて見る花は、梅でも桜でもそうですが、1輪、2輪と咲いているのが風情というものです。  

とまあ、理屈をこねて花見をするようになるということは、感動する心が薄れたということです。

花よりだんごと心の赴くままにフラッペに飛び付き、びっくりクジを引く子供の自然さがうらやましくもあります。  

ぼんぼりに囲まれて、さあごらんくださいといったお城の桜花より、夏の甲子園を目指して必死になって練習を繰り返していた郡山高校の野球部の方が印象的でした。

監督のアドバイスに直立不動の姿勢で、バットを片手に立ち尽くす白いユニホーム姿の選手たち、

その背後にちょこっと咲いていた桜の花の方が花見にふさわしい味わいでした。  

結局、桜の花は心のよりどころなのです。

寒い冬をやっと越し、ああ今年も春になったという人間の生きていることへの証(あかし)、心の発動なのです。来年はどこでどんな花見が出来るのでしょうか。  

投稿で月に1万円稼げるくらい多くの文章を書くように努めます。

病院では「毎日新聞」なので毎日にも挑戦します。

アルコール依存症のほんとうの姿を世間に発表することが、おいちゃんに課せられた一つの役目ではないかと思うのです。  

三者三様の怒りを一般の人に理解してもらうのは難しいことです。

しかしアル中の観念を依存症という病気にまで高めることは社会啓発になるはずです。

アルコールの害で失われていく国力の損失を少しでも食い止めることになれば幸いです。

今日も新聞の投稿欄「みんなの広場」に ”酒を飲んで迷惑をかけないで" と載っていました。

そのような人たちはみんな病気なのです。国がまだ認知できないでいる依存症という病気です。

昨年辺りから厚生省もようやく重い腰を上げその実態究明にとりかかっています。

いずれ5年後、10年後くらいにはアルコールの概念も様変わりしていることでしょう。

断酒会など自助グループも今より数倍その力を認められていることでしょう。

ya、4年生へ進級おめでとう。

上級生になったのだから、1年生、2年生、3年生にはやさしくしてあげてください。

yaはお父さん、お母さんからやさしくしてもらったらうれしいですか。

下級生は、お兄ちゃんがこわいのです。

そのお兄ちやんからやさしくされると、うれしくてうれしくてしかたがないのです。

とくに新しい1年生は何も知らないので、全部のことにびくびくしています。  

yaの1年生のときを思い出してみてください。

お父さんの小学生のときは、近くにKのこうちゃんというお兄ちゃんがいて、お父さんにいつもやさしくしてくれました。

お父さんはうれ しかったものです。  

やさしい4年生になるように、お父さん。

(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)

 

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