アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー49ー
「医療の無知」 過ぎし日を振り返り
昨夜から雨が強く降っています。うつ状態にプラスして体もだるく病院内のごたごたも煩わしくうつうつとしています。
昨日の晩、断酒例会から帰ってきて、しばらく床の上で考え込んでいました。
というのは、あ る人の体験発表の中で、音に敏感になるというくだりがあったからです。自分の過ぎし日を振り返りはっとする思いでした。
おいちゃんは結婚する前から、水道水のぽたぽたと垂れる音や、マンションの鉄製の玄関ドアが強く閉まる金属音に、非常に敏感になっていたのを記憶しています。
あのころすでにおいちゃんはアルコール依存症に冒されていたのかもしれません。
そう気づくとなぜかKeiに申し訳なくてあんたんたる気分です。自分のうかつさかげんもそうですが、日本の医療行政の無知にもがく然とする思いが募ります。
このぴりぴりと敏感過ぎるほどの神経の張りはどこから来るのか、真剣に悩んだことがありました。
しかし、どこの病院でもどのような医学書からも適切な回答は得られなかったのです。
それを今、酒の害から来る神経過敏と理解すると全てがきちっちりとつじつまが合うのです。
そんな符号合わせをして、過ぎ来し人生を振り返ることは、あまりにも惨め過ぎます。なぜ?の嵐が吹き荒れて止まりません。
なんでもっと早く専門的な治療が受けられなかったのか。人生が試行錯誤の繰り返しとわかっていても悔やまれてなりません。
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20歳になってから当たり前のようにしてアルコールを口にしています。
周りの雰囲気は、飲酒に対して協力的ではあれ注意を喚起してくれる大人は皆無でした。これからの国は成人式を境にして飲酒可か不可かをもっと大々的に宣伝する必要があると考えます。
判断能力が不確かな青年たちを、法律だけを基準にオトナと認め、ぱっと突き放す、これはやはり改めて行かなければなりません。
量を多く飲むのも控えるのも皆あなたの責任ですよ、ではあまりにも情がなさ過ぎます。
ほんとうは人間も犬や猫と同じように酒など飲む必要はあまりないのではないでしょうか。
飲ませるのは半分、国の遠隔操作によってなされているのではないのかと疑問でいっぱいです。
売れたら売れただけ税金が入ってきます。属議員を操っているメーカーも儲かります。
どこかこの辺りにからくりが隠されているように思えてなりません。
(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)