終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー52ー

「強迫観念」 しんどさ意志で調節可能に

am7:00起床、いつもより目覚めが1時間近く遅く、しばらく床の中で体のしんにある疲労と闘っていました。

つくづく年を感じます。

加齢とともに衰えるのはしかたがないにしても、あれもだめこれもだめの連続なので、いいかげんうんざりしてきます。

まあ、その分、だれにも迷惑のかからない分野に進出するとして、楽しみの領域を少しづつ広げていくことにしましょう。

生きる励みにもなりますから、それでよしとしなければなりません。  

昨晩、あれから東岸和田で時間があったので、公衆電話を使って呉服屋のY氏の所へ連絡を取ってみました。

お母さんが出てこられ、しばらくして本人と代わりました。

Y氏は酔いの混ざった声で「もうあかん」とうつろです。酒がとまらなくなっています。

保健所の再度の勧めもあって入院を考えているようなのですが、まだ、その踏ん切りがつかないといった感じなのです。

同病ですが哀れを催します。

2月の同じ日に入院して、片方(おいちゃん)は断酒にまい進しています。

例会通いに精を出し人生をやり直す途中です。

Y氏といえば、また振り出しのゼロに戻り、泥沼の真っただ中なのです。

これがアルコール依存症の依存症たるゆえんと言ってしまえば簡単です。

病を認められるか否かで天と地の差がついてしまいます。 しかし、その差が一瞬にしてまた振り出しに戻る恐ろしい病気です。

おいちゃんも油断しているとすぐに人のことは笑えなくなります。心が1杯の酒に傾くと元のもくあみなのです。  

このごろはおかげさまで昔飲んでいた時のように、強迫観念を伴った飲酒欲求がないので助かります。

精神の錯乱が起こると、飲みたいという渇望は尋常でなくなるのです。

飲みたい、否やめておこうという綱引きではなく、どんな状況下にあろうとも体が酒を要求してきます。

なんとしても酒、酒、酒と酒を探し回るのです。何かに追い立てられるようにし1杯の酒を求めます。  

酒が体に入るまで渇望は絶対に衰えません。この先どうなってしまうのだろうかという絶望感が押し寄せてきます。

おいちゃんの場合、安易に酒に走ったのはアルコールという薬物依存のなせる業でもあるのです。

自分の意志ではどうしてもコントロール出来なかった中毒症状の怖さです。  

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専門の病院で3カ月余り酒を切ってもらいました。

ドキドキしてこのままどうにかなってしまうのではないかという強迫観念は取れてなくなったように思います。

まだ少し訳のわからない不安が心の隅に予期恐怖としてありますが、このことは我慢ができるのです。

浮かび上がった感情をそのままにして断酒会に出席することで解消できているようです。  

これも結構つらいことはつらいのですが、しんどさが自分の意志で自由になるので以前と比べて非常に楽です。

苦しい中にもほっとする部分があります。

居ても立ってもおられない不安、焦燥感がなぜないのか不思議でしかたありません。  

昼前から岸和田地方も雨になりました。じとじととして憂うつな雨です。

雨の日に概して体に不調を感じるのは、やっと一般人の仲間入りをさせてもらった証拠なのでしょうか?

 I 氏、例の大和郡山のヤーさんが今日逃げるようにして退院していきました。

今回外泊した時に傷害事件を起こして帰っていたのです。風雲急を告げ警察の手が回りそうになりあわてて出て行きました。  

 I 氏はどうしても酒をやめる気になれず、自分で「このごろ、酒飲むと人に手をかける、おかしいな」と自覚しているのです。

それではどうしたらいいのかの白問自答が足らず、未来をどうしても捕まえられないでいます。いつまでも酒に頼った生活から足を洗えないのです。  

糖尿病も I 氏の体を徐々にむしばんできています。警察から追われこの病院も安全な場所ではなくなったようで哀れなものです。

義理、人情の潔さの面影は全くありません。こそこそと逃れていった姿からは、明日のない世界しか想像ができませんでした。

ああ、おいちゃんがあの人でなくてよかったと心を一層引き締めるのです。

とにかく、 I 氏が元気で更正の道に少しでも近づくことを祈るばかりです。  

5月16日(金)は水間観音にでも行ってみましょうか。やはりしんどいかなあ。

無理することないと、心は行ったり来たりしています。まだこれからも訪れる機会はいっぱいあることです。  

明後日からは強行軍です。17日(土)はいつものように橿原へ帰ります。

でも18日は第3日曜日で、院内で家族例会のある日です。病院へとんぼ返りしなくてはなりません。

また19日(月)は、市の公民館で音訳奉士員の講習会があります。

朝、病院を7時出発で橿原に戻らねばなりません。スケジュールはびっしりです。  

そういうわけで疲れが予想されます。中年太りのおいちゃんとしましては、あまり無理もきかないこともあって水間観音は後回しにしたいのです。

和泉府中の新生会病院の院内例会にも行ってみたいですし、まあ、ぼちぼちやっていきます。  

雨が激しく降り続いています。このような雨の中でも断酒会へ行こうと思えるまで心が回復したことをうれしく思います。

毎日毎日の積み重ねがいずれ目標の出席50回に到達させてくれることでしょう。

不満を言うこともなく足元を見つめながらこつこつとやっていこうと決意はまた新たです。

(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)

 

 

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