終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

穏やかな時間が限りなく愛(いと)おしい

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 先日、便利屋仕事でお客様から買い物を頼まれた。

渡されたメモを頼りに店を何軒か回ったが、百貨店の地下にある総菜売り場ではあらかじめ電話で注文していた商品を受け取りに行くというものだった。

百貨店の建物内にある駐車場3階で車を降りる。久しぶりの雰囲気を味わうためエスカレーターでゆっくり売り場まで向かう。

混雑する中、探し当てた売り場のレジに懐かしい人の顔があった。

昔住んでいたマンションの同じ階に居たTさんである。そのときわたしはサラリーマンをして大阪まで通っていた。地域のことはあまり詳しくなく、マンションの同じフロアの住人とも話す機会はそんなになかった。

妻がTさんとは仲良くしていた。

うちは一人息子だが、Tさんには同年代の息子さんと娘さんが居た。それで親しく付き合っていたのだと思う。

頼まれた商品を確認、包装してもらうわずかな時間に話したのは2言3言だった。

Tさんは、いまは息子と同居してこの売り場には週1回火曜日だけ勤めていると教えてくれた。

わたしが「もう73歳になりました」と告げると「私も67歳です。」と返ってきた。

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たったそれだけの短い出会いを帰り道から今までずっと繰り返し思い出している。

Tさんは息子さんと百貨店近くのマンションに住んでいる。

妻もそう遠くないDビルにひきこもりの息子と暮らし始めた。

なんや、同じやないか?と思いわたしは安堵(あんど)の深い息をする。

Tさんの詳しい家族状況は知らないが、勤めのある息子と、ひょっとしてその息子の子ども、Tさんにはお孫さんが居るかもしれない。

なぜかわたしはそこまで想像してちっともうらやましいとは思わなかった。

ひきこもりは長いけど息子はまあまあ元気に生きている。妻もがんを患って甲状腺の腫れが最近いよいよ大きくなってきているが、ケンカしながらも最愛の息子が側に居る。

反対にTさんはわたしがアルコールの専門病院に入るころご主人と離婚したのかな?

それを考えると現在わが家は別居状態だが、3人の関係はつかず離れず、そう捨てたものでもない。

このブログを書き始める前には"息子を自立させるまでは"うんぬんと大上段に構えていたが、生きる様態として現状もまんざらではないと変化してきている。

息子はスマホとタブレットを操作しインターネットで自由自在に買い物をする。あるSNSで1700人の読者を持っているらしく交流を続け社会とつながっている。

妻は添加物などなんのその食べたいものを奔放に食べて楽しんでいる。

息子のわがまま(お腹が空くと不潔恐怖症で自分では何もできないので時間をかまわず妻に作らせる)が、妻の生きる力を刺激して延命の手助けになっているのかもしれない。

そんな二人のそばに居て徹底して支えてやろうとこれもわたしの生存の励みとなっている。

そう考えるとこの3人3様の穏やかな時間が限りなく愛(いと)おしく感じるのである。

 

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