終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー53ー

「運動」 人間だから意志の力で継続

am5:30起床。 断酒会に出席すると疲れが取れます。軽い夜食をお腹に入れてから横になるのです。

布団の中で話し方講座のカセットを聞いていると、1時聞くらいで自然に眠くなってきました。

朝も普通に目が覚めます。体のだるさを我慢して服を着ます。顔を洗います。歯を磨きます。

断酒会のおかげで規則正しい生活が作られていくのです。  

曽野綾子の『絶望からの出発』--私の実感的教育論--によると、
<私のようにその目的は、1人でも生きられる子供を作ることだとすれば、親は子供が生まれた瞬間から、刻々と別離へ向かって歩き出す用意をしなければならない。

親が子供にしてやれる大きな事業の1つは、いつか別れることを上手にやってのけることなのである>  

昨日とはうって変わって好天気です。

病院の前から眺める畑や池や森や山々は初夏の装いで輝いて見えます。淡い緑の新芽が5月の風に吹かれて踊り狂っているようです。

おいちゃんはその景色の中、逆風をついて走ります。ひたすら走ります。

病院のあの坂道を5往復と決めて走っているのです。小走りに駆け上がっても息は切れません。よくここまで回復したとしみじみ思います。  

この運動はこの先ずっと続けなければならないでしょう。やめること続けること、いろいろあるのがおいちゃんのこれからの人生です。

人間だから意志の力でやれると思います。やり続けられるはずです。  

入院の日、息も絶え絶えで看護士にかつがれて上がった坂道です。

うつろにかすんだ目で眺めた風景の向こうに、野球のバットを持って自分の足で歩いている数人の男たちが見えました。

そのときの感情は言葉ではうまく表現できません。おいちゃんには再び訪れることのない別世界の出来事のように感じられていたのです。  

閉鎖された中での生活を振り返って見ると、当たり前のことをこつこつやり続けることがいかに大切かということが分かります。

ほんとうによくここまで元気になれたものだと、一つひとつの積み重ねにめまいがするようです。

(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)

 

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