終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー54ー

「起床」 ひんやりと肌寒い朝

am5:30起床。ひんやりと肌寒い朝です。暖かくなるにつれて朝の時間割りが少しづつ早くなってきました。

皆、6時には起きだして顔を洗っています。

おいちゃんは中庭のゴミを拾ってからテレビ室でコーヒーを飲むのがこのごろの日課です。

朝、普通に行動を起こせることに幸せを感じています。

今日も仕事は断酒会出席です。  

昨日、貝塚の例会へ参加して留守の間、部屋に定期検査の案内があったようです。消灯後部屋へ帰ったにもかかわらず、同室者が検尿容器を示してくれました。  

今朝は人1倍早起きをして詰め所に1番乗りです。

採血を済ませて一服後、詰め所にゴミ袋をもらいに行きました。

看護人のSさんが、「採血あるで」と教えてくれます。

「もう済みました」というと「ほんまけ、早いな」とびっくりした様子です。

Sさんにすれば、朝早くからゴミ袋がないと騒いでいるおいちゃんを気遣ってくれたのかもしれません。

物事の段取りが普段に戻ったおいちゃんを見てきっと驚かれたことでしょう。  

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Sさんは以前、注腸検査の日、新館のレントゲン室から病棟の5号室まで、おいちゃんをかついで連れて帰ってくれた人です。

あの時、ほんとうは無理に歩こうと思えば歩けたのです。

雪が降っていましたし、「かついで行ったろか」と若いSさんのせっかくのお申し出です。思わず「うん」と返事をしてしまいました。  

なぜか心ここにあらずです。

便せんに向かう気持ちと周りを気にする雑念とでページNOを立て続けに間違っています。少々寒過ぎるからでもあります。

半紬のシャツしか持ってきていないので非常に困っています。

am9:00、やっと外への扉が開きました。長く怠惰な1日になりそうです。  

退屈転じて最悪の体調になりました。

しんどくてam11:30よりpm3:30まで寝ていました。禁断症状もあるのでしょうが、昨日の運動がオーバーワークだったようです。

坂道5回、バーベル数10回で、こんなに疲れるとは想像出来ませんでした。

これを良い教訓にしてこれからはあまり無理をしないように致します。

(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)

 

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