終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

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アルコール依存症は病気か?

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アルコール依存症は病気だという。そうだろうか。

確かに、治療に巡り合った家族にとって「あなたのご主人は病気です」と告げられれば、ほっとするかもしれない。

その意味では「病気」の概念に強く抵抗を示すつもりはない。

もしアルコール依存症が病気ならば、いったいどの部分を病んでいるのだろうか。

依存症の診断基準は2つある。

飲酒量のコントロール障害と離脱症状の出現である。

ということは、間違っても「心の病」などではないということにならないか。

日本の医療の現場ではアルコールの薬物としての怖さが欠落している。

薬物の薬理作用が人に酒を飲ますのである。

タバコを例に取ってみるといい。

わたしはタバコと酒を同時にやめたことがあるが、アルコールのほうがやめにくかった

この際どちらがやめにくいかではなくて、もし同等のやめにくさがあるとすれば(後に酒はタバコの4倍のやめにくさがあると聞いた)、

アルコールがやめられない人間のことを「心の病」として扱うことは理不尽であろう、ということである。

自助グループの例会などでも過去に自分はどれだけ悪いことをして周りを苦しめたかのザンゲ話ばかりが語られる。

アルコールの薬物としての怖さや、やめにくさは全くといっていいほど体験談に出てこない。

タバコに例を戻すと禁煙中は3日目から10日目までがピークで、夢遊病者のような状態で過ごす。

半月から1か月してもまだ口の中がもぞもぞして、意識はしきりにタバコを求めている。

はっきりとタバコなどなくてもいいかと感じられるのは半年、1年後だったろうか。

タバコでさえそうなのにアルコールの場合、解毒期間の1週間から10日が過ぎれば、それ以降はすっきりした気分で暮らせるようにほっぽり出されてしまう。

解毒後も依存症者(中毒者)は体から酒を求めている。

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これは薬物としてのアルコールが酒を飲まそうとしているのだと考える。

少なく見積っても酒を断ってから1ヵ月は飲みたくて飲みたくて仕方がないのである。

この薬物の作用を忘れがちだからほとんどの所で心の問題に擦り替えられてしまう。

" 私はこれだけの期間やめましたが今でもこれだけ飲みたいです " と語るべきところを(AAの最初の2人はこうだったと思う)、妻子を泣かせました、悪うございましたとなって人間性の問題になっている。

アルコールが脳を巡っていれば無茶することなど当然なのに・・・。

アルコールは薬物である。

まあまあ、酒なしでもいいかと思えるようになるには1年半は確実にかかるかな?

その間に1杯でもアルコールが体に入ると、薬物の酒は次の酒を飲ます。

これがコントロール障害である。

次に、アルコールをやめようとすると激しい禁断症状に襲われる。それを私は心臓のドキドキと表現して恐れおののいていた。

深酒をした次の日の朝、血中からアルコール分が抜けかかるとき、体が小刻みに震え始める。

身震いしてぞくぞくして胃部の奥から突き上げるような感覚がのどに上がってくる。

心臓がドキドキし始める。

「次の酒を用意しなければ」、襲ってくる苦しみが経験上わかるのですぐに次の酒の手配のことを考える。

一家の大黒柱がこれではだめ,と自己流で酒をやめようとする。

小刻みな体の震えは止まらない。再び心臓のドキドキに襲われる。

それでも我慢してやめつづけていると,体がぞっとして、今で言うパニック症状が起こる。

精神の錯乱である。居ても立ってもおられない。このままどうにかなってしまうのではないのかという死の恐怖である。

この状態のときアルコールを体に流し込めば症状はすっと消えていく。

しかし次の日の朝は前日にもました2日酔いに悩まされることになる。

飲んでも地獄,やめようと思っても地獄,決して好きな酒を飲んでいるわけではない。

しんどいからもう、このまま死んでしまえたらと切実に思う。

そればかり考える。

目を覚ますのが怖いから酒をひっきりなしに口に流し込む。睡眠薬も放り込む。

15分ほどまどろんで,また目を覚ます。

頭はがんがん割れるように痛い。食事は丸5日間何も食べていない。

食べないから便意はない。

トイレに行きたくても1人では立てないから,家族の者に両脇を抱えられてずるずると引きずられていく。

便座までたどり着き,立ったままざっとパンツを脱がされる。

( 書きながら思い出して泣きたくなってきた。)続きはまた・・・ )    

 

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