終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

妻の甲状腺がん放置以来8回目の桜の季節がやって来た

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アパート前 米川の桜並木にぼんぼりが設置された

今朝、妻からメールが来た。

「ゴミが6つあるから来てくださいや」

月曜日と木曜日は燃えるごみの日である。連絡があってもなくても行くつもりでパソコンを開いてブログを読みながら時間待ちをしていた。

「OK」と返して飛んで行く。

妻がのどに出来た腫瘍を放置してから8年と3ヵ月になる。

放置と書くと自身の意思で様子見をしたと積極的な雰囲気であるがそうではない。

いろいろと当たったが腫瘍が大きくなりすぎていて手術が出来なかった。

腫瘍が気道を圧迫して息が出来ないのでのどに穴を開けてカニューレというビニールパイプを肺の入口まで突っ込んでそれで息をしている。

毎日3~4回の吸入吸引を妻は自身でこなし今まで何とかやって来た。

午前7時前に頼みごとをされようと「ゴミ出し」くらいお手の物である。ごみ出しだからほっと安心して跳び出して行くことが出来る。

2011年から2013年にかけて、のどの器具が安定しないときは、痰がパイプの先で詰まると、てき面呼吸ができなくなる。

妻と同居の息子から「お母さんが・・・」と電話があると救急車の手配をしながら車で飛んで行く。

付き添って新しい器具交換に立ち会ってと数時間を病院で過ごすことになる。

朝でも昼でも真夜中でも飛んで行く。

仕事先に呼び出しを受けたことも何度かある。

去年 2018年は緊急で夜間診療に2回ほど連れて行ったが救急車の手配はゼロだった。

おかげさまでその安定した時間が今年2019年も1月2月3月と続いている。

わたしはがんの妻を守るために決めたことがある。

絶対に妻の心を波立たせないようにしよう。

便利屋稼業を32年やっていて多くの家庭でがんの患者さんを見てきた。

その時感じたのはがんはストレスからなるという確信だった。

悩んで無理して仕事を続けた人たちががんにかかっていた。

ストレス、そう妻にストレスを感じさせないようにしようと決めたのである。

そのためわたしは座右の銘を自我100%カットと定め妻との関係の全てを受け入れる決心をした。

ハイハイと何でも受け入れる。

最初はちょっと自我が出て妻との関係も少しぎくしゃくしたが、最近は笑って全てを受け入れることが出来るようになった。

まあそれも離れて暮らしているから出来ることだからあまりいばれたことではないが、妻が生きていることが愛おしくて全てをハイハイと受け入れている。

2012年1月の妻の退院のとき、主治医から今年の桜は見れないかもしれないと余命3カ月の宣告を受けた妻は今年の桜で8回目の桜の時期を迎えている。

1に妻が自分で処置する吸入吸引の努力と

2に同居の息子がただ側に居るということ

そして3にわたしの自我100%カット(心を波立たせない)があるのではないのかと思っている。

今は妻が器具を使ってでも何とか息が出来ることに大感謝である。

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