終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー24ー

「夢」 人前で自由に語れるように

昨日は電話で愚痴ってすみません。最悪の精神状態のようでした。でも気分転換という か、そのどん底を乗り越えるこつみたいなものを少々会得したように思います。  

寝る前、何10日ぶりかで睡眠薬を飲みました。目覚めはボーッとしていますが、よく眠れたので気分は案外すっきりと落ち着いています。生あくびばかり出ます。しかし、これは心配いりません。

pm4:30、夕食も過ぎ、点呼も終わりました。5:00からの酒害教室は都合で中止です。9:00の消灯まで約4時間あります。今は快適な気分で段ボールの机に向かっています。不思議なぐらい平静な気持ちです。  

今日の夕食は50グラムほどのチキンと、キャベツ、青菜の煮つけ、にんじん、黒いも、大根などの入った味噌汁とご飯でした。近ごろにないおいしさを感じたのは食前の運動が効いてきているからでしょうか。        

断酒会の後、新館の受付へ手紙を頼みに行きました。ついでにW病院の前で体を動かしてみたのです。階段を20回はど上がり下りして、あの坂道を2往復しました。

今日はやってやろうという気力が充実しています。快晴の青空を見上げながら、ひさしぶりの開放感に浸っています。

院内の断酒会では上手にしゃべることができました。練習のたまものです。昨日も坂道を行ったり来たりしながら、下書き原稿をぶつぶつと繰り返し反復してがんばった成果です。

途中でつかえると頭の中が真っ白になる癖があります。マイクの上部に張りつけるアンチョコまで用意していました。おかげで左手の甲にくっつけたカンニングペーパーを見るまでもなく、詰まることなく堂々と話すことができました。  

このやり遂げたという達成感がすごくいいのです。走りたくなり弾んだ気分で階段を駆け上がります。昨日のうつ症状が嘘のようです。この心理状態があるなら酒などいりません。きっぱりとやめることができます。  

こういう経験が「自信がつく」ということでしょう。少しずつ自分の価値を高めていく意義を40歳にしで悟ろうとしています。自信が得られると根性が備わってきます。

小心でしやべることの苦手なおいちゃんには案外、断酒会での体験発表が勉強の場になっていくのかもしれません。おいちゃんが人前で自由に5分間もしやべれるようになったとき、遅まきながらやっと現代人の仲間入りです。  

おいちゃんが大勢の前で、例えば会議の席、会合の場などで自分の思っていることを何のてらいもなく話せていたら、もっと違った人生を歩んでいたと考えます。頭に浮かんでくることを何のおじけもなくしゃべれていたら、少なくともこんな依存症にはなっていなかったはずです。  

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森田療法では、おいちゃんのおどおどした小心は幼児期の恐怖体験によるもので、生来のものだからどうしょうもないということでした。

しかし、断酒会で徐々にしやべる練習を積み重ねることにより、1年後2年後に今より少し多くを人前で語れるようになれるなら、こんな最良の性格改善方法はありません。  

それによって得られる利益は計り知れないものになるでしょう。断酒会に通い続けて酒がとまります。酒害活動にも参加できます。

yaの学校の行事にも心おきなく出てやれます。会社では会議が待ち遠しくなるかもわかりません。顧客先でも怖がらなくておれます。セミナーなども積極的に開催できます。

夢、おいちやんの夢です。もしそうなれるのなら夢がかなうならば断酒会通いで恥をかきまくり、人前でしゃべれる訓練はやってみる価値がじゅうぶんにあります。  

pm5:15、院内も顔触れが少しずつ変化しています。先日お伝えした西成のシノギ(強盗)がついに犯行の現場を押さえられ、ドスン(反省室)に入りました。

入院した時は小さなバッグ1つでしたが、荷物が出てくるわ出てくるわ、段ボール箱に4つも見つかったそうです。衣類ばかりです。相変わらず残り物のご飯は食べるし、捕まるのが遅すぎた感じもします。が、とにかく一安心です。

おいちゃんのいちばん気に入っていた自の厚手のハイソックスがありません。盗品の公開があるというので探しにいってみようかと考えています。

この靴下は5号室から1号室へ替わったとき、洗って窓に干していたものです。そのまま忘れていて翌日あわてて取りに行きましたが、すでにありませんでした。絶対にあいつの仕業です。  

このごろ目につくのは外出、外泊者の飲酒です。出て行っては飲んで帰って当たり前のようにドスンに入ります。今日もぐでんぐでんに酔っ払ったM氏(あまり話したことがない)が、看護人に両脇を支えられて反省室に消えて行きました。  

雰囲気が好きでいつも出入りしている2号室は昨日3人が外出しましたが、3人とも無断外泊で帰ってきませんでした。M氏もその1人です。全くそのような感じの人には見えなかったので不思議な気がしています。やめにくい酒です。  

おいちゃんだけは何が何でも酒はやめるぞと宣言します。命を捨てるつもりで飲んでいたお洒です。命を捨てるつもりでやめてみせます

(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)