アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー25ー
「百人百色」 愛想振りまきのんびりと
明け方の放射冷却でしょうか、意外に寒い朝です。テレビの天気予報では今日は晴れるとのことです。
聖子のオメデタがスポーツ新聞に出ていました。「風邪気味だから薬を飲ませないようにしている」と旭輝子。栄養剤、ビタミン剤にも注意をしているという記事がありました。
Keiちゃんも用心してください。賢いKeiちゃんのことです。ぬかりはないと思いますが、過労にだけはならないよう、じゅうぶんに体を労わってください。
おいちゃんはまだ下痢気味で、朝方、おならと一緒にミが出ました。それからの忙しさといったらありません。パンツを脱いでトイレに行き、尻を洗い、洗濯をしてとたいへんでした。
定期の検査があり、また血を採られました。am8:30、点呼。点滴のために2階へ行ってきます。
am10;00、15号室へ戻ってきました。ここはやはりひんやりします。2階とは温度差が2、3度くらいありそうです。それで風邪がなかなか治らないのかもしれません。のどの奥がいがらっぽく微熱もあります。
Keiのことを「美人や」という患者仲間がいます。こんな時においちゃんはどう返事をしたらよいのでしょうか。また、「電話する所があってうらやましい」と別の人から言われます。陽なたぼっこをしている連中に、「ラブレター出しに行くのか」と声を掛けられました。
皆、寂しそうです。おいちやゃんのことがうらやましく見えるのでしょうか。憎たらしく感じている独り者もいるかもしれません。他人の気持ちを堆量しながら、おいちゃんはおい ちゃんです。
130人ばかりの世帯です。百人百色でほんとうにいろんな種類の人間がいます。同病ということで同じ屋根の下に起居を共にし、同じかまの飯を食らっています。しかし、気の合わない者8割、どうにか話をして言葉を交わす者2割、そして、真剣に酒をやめよ うとする仲間、2人です。
こういう現状ですが、気にしていたら切りがありません。そこは昔、営業マンであったおいちゃんのこと、適当に愛想を振りまきながら無視する者は無視して、のんびりとやっています。
ちょっと入院生活が長いというだけで先輩風を吹かせ、特権階級ぶっている者。自分がいちばん偉いとばかり相手の気持ちを少しも考慮しない者。自分の考えを押しつけて平然としている者。病院にさえわからなかったら飲んでもいいと思っている者。おいちゃん は、このようなさまざまな人間の集団に囲まれています。
そう書きながら、おいちゃんは退屈もせずに案外これでも忙しいのです。am6:00に床を離れてから、Pm10:00の就寝まで、あれもこれもとあっという間の1日を過ごしています。
他人のことをあまり気にせず、悪口も言わず、気楽にあっちへ行ったりこっちへ行ったりしています。ご安心ください。
広告
Yさんは西成のアンコです。49年の人生経験から、いろいろとアドバイスをしてくれます。
「たった3カ月、一緒に居る者に、気遣うことないで」
「アホとは話せんでもええ、無視しとったらええのや」
たまにひょこっと人にもまれた厳しさゆえの言葉が聞けて新鮮さを味わっています。Y氏のことは以前、詳しく書きますと伝えていますが、まだその機会ではないようなので後述とします。
1つだけ言葉の意味を教えます。西成の日雇い労働者のことを通称「アンコ」と呼びます。なぜだと思いますか。
深海にアンコウという魚がいます。この魚は、餌(小魚)が口の真ん前に来るのをじっと待っていて、来たらパクッと食いつくのです。自分から動いて餌を探すことはしません。
西成の労務者たちも労働センターの前で、仕事が来るのを立ってじっと待っています。各飯場(はんば)行きのバスが窓ガラスに条件と行く先を張ってセンターの前に横付けしてきす。働く意志のある者は、そのはり紙を見て自分の気に入ったバスに乗るだけです。
自分から積極的に求職活動をしないのが魚のアンコウに似ているところから西成の日雇い労働者のことを「アンコ」と呼ぶそうです。おもしろい言い回し名称だと思いませんか。
pm3:15、快晴の中、病院の周りを走り込み一息ついています。だいぶ調子も戻ってきました。坂道をランニングで上がっても、そんなに息は乱れません。看護婦R子さんの「見違えるようになったね」という声が、すれ違いざまに聞こえてきます。
暖かくなるにつれて外に出られる回数が増えるので心はうきうきです。退院のころまでに耳成山一周くらいを軽く走りこなせるような体力ヘもっていくつもりでがんばっています。人はひと、おいちゃんは自分の計画どおり着々と実行中です。
明後日の昼ごろ、多分この便りよりも早く、おいちゃん自身が八木に着いていることでしょう。1人で大丈夫です。必要な物も整理整頓が出来るようになりますし、またかなり自由が加わるので外泊はほんとうに楽しみです。首から下を使って素直な気持ちで断酒の道習得に努めます。
(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)