アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー44ー
「暇つぶし」 酒害を用紙2枚にまとめる
am6:30、起床。だるい寝起きです。
この数日はずっとこんな調子が続いています。O医師に言わせますとこれは気から来るものとのことです。こんな説明では一つもらちがあきません。
keiちゃんはkeiちゃんで、いつものソウウツやとあっさり決めつけてくれます。おいちゃんとしてはどこへも気持ちの持って行き場がありません。
おいちゃん自身ある程度、気から来るものかなぁという確信めいたものはあっても、実際だるくてしんどいので、うっとうしいことこの上もなしです。
のどの奥も何かもぞもぞして気色悪くてしかたありません。以前のようにセキは出ませんが、なんとかしてくれと叫び出したい気分です。
今日おもしろいいたずらを決行しました。
昨日の酒害教室の中で、院長が、ある雑誌から原稿の依頼がきたと言いました。
「わたしのお父さんはお酒を飲んでお母さんをたたきます。どうしたらいいですか?」
という小学校5年生の女の子からの投書に原稿用紙2枚で返答するのがその依頼とのことでした。
”酒害を用紙2枚にまとめるのは難しい、でも私はまとめた”と院長は鼻をうごめかしておられるのです。
おいちゃんは昨夜、布団に入ってからむらむらと反発心がわいてきました。
文章が次からつぎへと出てきます。部屋は消灯しているのでテレビ室に起きだして行って、Pm11:00までかかって書きました。
原稿用紙2枚きっちりに仕上げて、今朝、詰め所の届け出用紙入れの缶の中に放り込んできました。
「院長殿」と書いた帯封を輪ゴムで止めて、目につきやすいようにしてです。
暇つぶしのいたずらです。病院からどういう反応が来るのか、とく名ですのでひそかに楽しみにしています。
次がその文章です。
『 みどりちゃん、お父さんは病気です。お母さんのことを憎くてたたくのではありません。みどりちゃんのことを嫌いでつらく当たるのではありません。
お父さんはアルコール依存症という病気なのです。
どこの世界にも、お母さんを嫌いなお父さんはいません。子供のことを可愛く思わないお父さんはいません。
みどりちゃんのお父さんは、本当はお母さん思いの子供思いの立派な良いお父さ んなのです。
ただ、お酒を飲み始めると止まらないという病気なのです。
人間が生きて行く時、時としてつらいこと悲しいことがあります。お酒はその苦しみをひと時、治してくれるいい薬なのです。
でも、いくらいい薬でも、飲み過ぎると毒になります。
みどりちゃんのお父さんの場合は、お酒のために心が少し弱くなっていて毒と分かっていても飲まないではおれないのです。
本当はたたきたくないのですが、お酒の毒がお父さんの頭を狂わせてお母さんをたたいてしまいます。
お父さんのことを病気だと思って、もっと優しい気持ちで見てあげてください。お父さ んの病気はきっと治ります。
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大阪にお酒をやめる専門の病院がいくつかあります。
お父さんがそこへ入院できるように手続きをしてあげてください。病院のエライ先生はきっと治してくれます。
入院するのは3カ月です。寂しいですが、辛抱してください。がんばってください。
3カ月して退院して来たお父さんは、お母さんにもみどりちゃんにも優しい立派なお父さんになっているはずです。
そして、みどりちゃん、お父さんのがんばりを励ます意味で、お父さんが断酒会に行くように声をかけてあげてください。
もう一度言いますが、お父さんのことは悪く思わないでください。お父さんは病気なのです 』
自分では80点くらいの出来かなと思っています。病院のリアクションが楽しみです。
何の音さたがなくても、それはそれでひと時、暇もつぶせたことですし満足です。
雨の日はうっとうしいものです。このごろ神経痛も出てきたようで、しみじみと年を感じます。 これは冗談です。
おいちゃんも自分の年齢を語る年になったということです。
昨日、酒害を振り返る意味で昭和53年からを一覧表にしてみました。
昭和55年から今日までの経過の早いこと、驚くばかりです。
おやじが死んで、いちばんの得意先が倒産して、おいちゃんが十二指腸かいようになって、という三重苦の年がつい昨日のように思われます。
あの年から精神のほうこうが始まりました。酔いのかなたに5年という時間があっという間に飛んで行ってしまったのです。
昭和55年にはya3歳、幼稚園のバラ組、おいちゃん35歳、そしてkeiちゃん芳紀まさにトウネントッテ19歳?
55年から57年までの3年間と58年から60年までの3年を比べると、後者のほうが倍くらい長く感じられます。
失業、そしてアルコールの禁断症状に悩まされ続け、薬としての酒を抱いてあちこちをさまよい歩くなど、ほんとうにいろいろなことがありました。
その分Keiにも多大な迷惑を掛けてしまいました。
3歳だったyaも9歳です。ほとんど空白の6年を考えると恐ろしくなります。
結婚生活も長くなりました。途中で別れることなくここまで曲がりなりにもやってこれたということは、ひとえにKeiちゃんのおかげです。
ありがとう。またこれからも気を取り直して仲よくやっていきましょう。
(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)