アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー32ー
「脱走事件」 片割れが酔っ払って帰院
次の『 』の中は、M院長の著書からの抜粋です。
ーーーーーここから引用ーーーーー
『心の問題でもう一つ大切なのは、周期的に起こってくる精神的な不調である。よく見られるのは理由もなくいらいらして怒りっぽくなり、家族に当たり散らしたりすることである。
また、何をするにもおっくうになり、気分が沈み、ふさぎ込んでしまうこともある。このような周期的な不調は、血圧や脈拍の不安定、手の震え、不眠などとともに遷延性の離脱症状群と言われ、数か月から1年は持続する。
これは、たとえ起こっても数時間から数日のうちによくなるのであまり治療の必要はない。酒をやめた後の後遺症だと思って気にしないほうがよい。
家族にしてみれば理由もなく怒られたりすると腹も立つが、これも病気の症状の一つであり本人の性格ではないのである』
ーーーーー引用ここまでーーーーー
am6:00起床。相変わらず夜中のどがいがらっぽくて、せきがひっきりなしです。よく眠れません。深夜の零時を知っています。1時も2時も3時も記憶にあります。
am6:30、詰め所にて採血。
点滴を打ち始めて1ヵ月半になりました。この定期の採血で結果がよければ点滴はなくなるかもしれません。そうなれば後は断酒の勉強だけです。
1クールの課程は願調に消化され回復に向かっています。
話は変わります。今まで何か抜けているなあと感じていたことが、昨日やっとわかりました。「YY物語」を済ませていなかったからです。小説風にしようと少し気取っていたのでうやむやになっていました。
「酒やめよな」とYさんは顔を合わす度にそう言って励ましてくれます。
「わいらみたいなアンコはもうどうなってもいいけど、奥さんも子供もいるあんたは絶対にやめんとあかんで」。
自分自身も肝硬変症でもうこれ以上飲めない体になっているのです。
NRの脱走事件でYさんの人間性の一部分をかいま見たように思います。Nは脱走というよりAに誘われ、意にそまない方向へとはまり込んでいったわけです。
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そのAが昨日、こともあろうに酔っぱらって帰ってきました。
いま反省室に入っています。Nの金を当てにして引っ張り出し、その金でたらふく飲んで、挙げ句に、ちょっとパァプゥでいつもにこにこ笑っている男を、釜ケ崎に置き去りにして自分だけ帰ってくるふてぶてしさです。
事情通に言わせると病院に預けてある5千円あまりの金欲しさだということで、病院もだめとは言えないやろとのことです。
Yさんは「あんなんがおるから、アンコは信用してもらえんのや」と嘆いています。
Aと一緒にS病院へ来たK(おいちゃんの福祉の手続きを、どうなったどうなったと、いつも聞いてくれる男)などは、もしAが反省室から出て強制退院にならなかったら、部屋に戻ってきた時点で制裁すると息巻いています。
看護人や患者仲間からは「絶対に手を出したらあかんで」と止められています。どうなることやら。
詰め所の方もそれを察知していて、反省室のAのところへ「どうします、退院するほうがAさんのためやと思います」などと勧めているようです。
まあ、Aは退院になるとして、Nのことが気に掛かります。
Yさんは今日、18日、am9:00より外出して釜ケ崎までNを捜しに行きます。「何の義理もないけど、かわいそうやろ」と、なけなしの金を使って捜索に出掛けるのです。
西成に16年の経験があるので隅から隅まで知り尽くしているということです。野宿するとしたらどことどこなどとポイントを押さえて捜し、絶対に連れて帰ってくると言っています。
おいちゃんと同室で寝床が隣のあの I 氏、昨日2泊3日の外泊に勇んで飛び出しましたが、夕方には泥酔状態で警察の護送で戻ってきました。今、反省室に放り込まれているようです。
院内でにらみを効かせているわりにだらしない姿です。これなど典型的なアルコール症の負の部分です。「せめて入院中は飲まないでおこう」という最低限が身に付きません。
おいちゃんも明日のことは分からないのです。気分には波がありますし想像を超える飲酒欲求が襲ってこないともかぎりません。とにかく、もうしばらくは1日断酒でがんばるだけです。
Kei、体の調子はどうですか。心配しています。
(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)