終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

便利屋の仕事

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アルコールの専門病院を退院してからわたしは、入院中に少し勉強していた"代行サービス業"、今でいう便利屋を開業する。

昭和62(西暦1987)年のことである。すぐに改元され"平成"の世になり30年があっという間に過ぎ去った。

だからわたしは平成の間中ずっと便利屋稼業に携わっていたことになる。

開業して2年目だったか ? 少し離れた大阪から冷蔵庫処分の仕事が回ってきた。一人では動かせないので当時中学1年生だった息子を連れて東住吉区まで出かけて行った。

息子は小柄でほそっぼの割には案外と力持ちで充分に片棒を担ってくれた。

そう、これが30年の間でたった1回の親子そろった便利屋仕事になったのである。

開業当時の詳しいことはまた別の機会に譲るとして、本日平成30年11月3日の便利屋の1日をどんな感じか?をお知らせする意味で時間経過と内容をかいつまんで記述してみたい。

いつものお客様(70歳女性、パーキンソン病の気があり)病院以外は外出もままならずいわゆる"ひきこもり"状態の方である。

便利屋は月に1~2度部屋中の掃除を依頼される。

今日も電話で予約をいただいて掃除内容も大体把握した上での訪問だった。

今日やった作業を順番に書くと2階エアコンのフィルターそうじ→階段&台所、廊下(壁面も含め)の水拭き→仏壇清拭→トイレ掃除→ふろ掃除→玄関回りの掃き掃除→スーパーへ買い物の順になる。

9時ちょうどに訪問し掃除が1時までかかる。その後の1時間で買い物を済ます。

わたしは仕事をするときは朝から食事(昼食も)抜きなのでぶっ続けの5時間作業となる。

当便利屋が他と違うところはわたしの気弱さにある。これが"まじめ"と解釈されたのか30年も細々と続いてきている。

最近は自我を100%カットの境地に近づき他の人の言動に腹が立たなくなってきている。

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(間違えないよう写真に撮ってスーパーへ行く)

依頼の時間中は特にハイハイと指図に従う。今日もお客様はこたつに入り寝転ろんだままいろいろと言ってくる。 

「そこまだゴミが残ってるわよ」

「そっちもついでにお願い」

「それから玄関の土間もね」

思いつくたびに声を掛けて来られるがわたしはそれが良いのである。命令された方が動きやすい。お客様のしんどさもわかる。ハイハイと返事に笑顔と明るさを交ぜる。

体を動かしてあちこちきれいにするのが好きなので、わたし自身は水拭き、掃除機掛け、買い物などけっこう仕事そっちのけで楽しんでやっている。

エアコンフィルターはわたしの息子もそうであるが、最新式機種で自動フィルターそうじ機能が付いているのに"フィルターを掃除して"と気になるらしい。

今日のお客様は買って半年のエアコンフィルターを無理に掃除して壊しメーカーの修理担当に来てもらっていた。「2年は何もしなくてだいじょうぶですよ」と諭される。

2時に代金をいただいてお客様のお宅を辞すが、帰途に買い物を1つ忘れていたのを思い出す。でもう1度スーパーに行って届けに向かう。

帰りにその足で5分ほどの所にある息子のマンションに寄る。

"瞑想"をしていたとか?(迷走中が何を言う?)「もう1回最初からやり直しや」ともごもご言いながら奥から出て来てくれた。

当ブログの出来栄えをスマホで確認したくて

(わたしはガラケーしか持っていない、2年前にお客様にもらったスマホが1つある)、

"いちばん安いスマホを手に入れる方法はないか、息子に知恵を貸してくれとメールしていた。どうやら見ていないらしく、面と向かって直接聞くことになる。

「外で使わないならWi-Fiの機械に接続すれば見れるはず」と自身の機械を手に線のつなぎ方を教えてくれた。(今日いちばんのうれしさはこれ)

帰りにマンション横のスーパーに寄って息子の分と合わせてほうれん草を3束購入する。もう一度マンションに寄りほうれん草を2束届ける。

妻に頼まれている小さなごみ袋をダイソー(百均)で探し午後4時過ぎにやっとアパートにたどり着く。

うさぎの餌やり、洗濯、ホウレン草湯がきと本日第1食目にありついたのは午後の5時だった。

いまコーヒーを飲みながらブログを書いている。投稿予約をし終わったら息子に聞いたWi-Fiの設定をやってみよう。

毎日が楽しくて仕方ない。

(ちなみに便利屋の基本料は1時間3000円。5時間×3000円で今日の売り上げは15000円となる。)