終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー16ー


「高血圧症」 飲酒で心臓肥大の可能性も

昨晩は電話、途中で切れてしまいました。すみません。その後すぐに3回ほど掛け直したのですが、S病院のおんぼろ電話機はツーツーと繰り返すだけなのであきらめました。

窓の外には鉄格子がはめられています。am9:00~Pm4:30以外はドアのかぎも掛けられ、正に閉鎮病棟です。部屋の壁には、たばこのヤニがこびりついていて黄色く暗くくすんでいます。

閉鎖されているわりに部屋の中での喫煙は自由で、布団に潜り込んで寝たばこする者がほとんどです。危なくてしかたありません。消灯後などまくらもとで赤い火があちこちポーツポーツと光ります。火事になったらどうすればいいのでしょう。

今朝は(am8:45)、寒くて手がかじかんで字があっちこっち向いています。頭もぼけていて漢字がスムーズに思い浮かんできません。

一昨日の晩ごろから病棟の外で、寒いのに猫がニャァゴニャァゴとやかましく恋を語っています。今日は、朝の陽の光が隣の棟の壁に明るく反射していますので天気は晴れるでしょう。

水曜日は週の中でもいちばんいやな曜日です。am9:00~10:00まで点滴、pml:00~3:00まで院内断酒会、pm5:00~6:00、酒害教室です。  

風邪まだ治りません。下痢はとまりかけていますが、まだ少し食後、下腹が渋ります。我慢していると2、30分でおさまりますのでトイレに行くほどではありませんが、何とも不安でいやなものです。

牛乳は毎日2本飲んでいます。明治の赤いパック牛乳です。am7:00の朝食に1本とpm2:00のおやつ時に2本目が配られます。隣の I 氏より特別に回ってくる分を含めると合計3本も飲む日があります。

乳脂肪とカルシウムはこれでじゅうぶんです。生野菜も朝食での不足分が、昼食、夕食の煮物で補えるので栄養のバランスはだいじょうぶかなと計算しています。  

ご飯は減量のため腹八分で抑え、どんぶりの3分の1から4分の1をわざと残すようにしています。体重は服を着て65キロです。これで消灯後に癖になっている緑のタヌキ(てんぷらそば)を我慢できるようになれば理想なのですが。

血圧が高いくせに、そばの汁を半分は飲んでしまいます。全部飲まないのがいやしさの中の救いです。降圧剤は処方どおり朝、昼食後に毎回2錠服用しています。でもなかなか血圧は下がってくれません。  

看護士は高かったら高いなりに、低かったら低いなりに安定していると良いと言います。高かったり低かったりするのがいちばん悪いようです。昨日の血圧は96~148でした。下がどうしても高血圧ラインの95を越えてしまいます。  

血圧の下というのは心臓が膨らんだときの数字です。おいちゃんの心臓はやはり肥大しているのでしょう。スポーツ心臓もその一種です。

昔、会社勤めしているころ健康診断で心臓の肥大を指摘されたことがあります。そのときは自分でかってにスポーツ心臓と決めていましたが、いま振り返って見るとおいちゃんの心臓は多量飲酒による肥大だった可能性が大です。  

高血圧症には塩分を控えることと、適度の運動しかありません。長い目で見て少しずつ改善していくしかないようです。45歳を過ぎると体か急にガタッとくるとよく耳にします。西成のアンコたちのように重労働で生活を支えてきた者には切実なことです。  

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2階の2号室に釜ケ崎生活16年という西成の顔、Yさんがいます。おいちゃんは2号室に入り浸りでYさんの話を聞いています。Yさんは固太りで、ずんぐりむっくりです。身長がない分どっしりして見えます。一種独特の風格があり話がおもしろくて笑い転げることもしばしばです。  

オカマとの一夜は最高でした。きれいなねえちゃんが誘うので、こりやチャンスとついていったそうです。部屋に入ってから背中ばかり見せているので、どうもおかしいなという感じはあったのだと言います。それでもYさん、酔っ払っているし女は久しぶりなので背中から抱き締めて押し倒したようです。  

「もうとまるかいな」という表現で、身ぶり手ぶりが交ざります。「前に手をやると俺と同じやつがついてるんじゃ」。この方言はYさんの出身地四国のかもしれません。「ええい、かまうもんか、いったれ」と突き立てたのだそうです。どこに何をかはここでは言いません。想像してください。  

am10:35、受診願いを出しているのにO医師からはまだ何の連絡もありません。おいちゃんに不安はありませんが、Keiが心配してくれていると思うと早く結果が知りたくてなりません。今日は院長の担当日のようで、O医師は病棟には不在です。新館で外来を診ているのでしょう。  

am10:50、昼食の配膳が終わってから、いざ食べようとした時、突然、O医師からマイクで呼び出しがかかりました。
 「どうですか? まだ血、出ますか」
 「いえ、検査以来出ません。下痢はしていますが」というやり取りの後、1 枚のレントゲン写真を見せてもらいました。ライトのともったガラスに張りつけてO医師は、「盲腸の辺りに、潰瘍(かいよう)らしきものがありますが、心配いりません」と驚かすのです。

「もし、心配なら退院して、腸の専門病院に行って調べてもらいなさい」なんです。

「私なら調べてもらいません、私ならこの注腸検査もしません」とどこまでもあやふやなのです。あまり心配のないような、また、潰瘍があると言葉を濁してくれるしで、どうも釈然としません。  

何となく安心するしかないようです。潰瘍の薬をもらいました。これでしばらく様子を見てみます。なお、潜血検査はやってもらえるようです。ご心配おかけしました。  

ya君 お元気ですか?お父さんはだんだん元気になりました。天気のいい、晴れた日は、お母さんから送ってもらった運動ぐつで病いんのまわりを走っています。だいぶ走れるようになりました。  

3月8日に家へ帰ります。9日の日曜日には天気がよかったら、yaくん、お父さんとキャッチボールをしよな。しんどくならないよう、お父さんは体をきたえときます。yaもカゼなどひかんようにして、元気でいてください。  

お母さんのお手伝いよくしていますか?勉強していますか。テレビゲームしていますか。おなかはもういたくありませんか。 さむいけど学校へは、がんばって行ってください。車に注いするように。おりこうさんのyaへ。  

(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)