終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー20ー

「息子」 ya、お父さんを越えたね

昨夜来の突風がぴたりとおさまって嘘のように静かな夜明けです。am5:25起 床。掃除。am6:00、1回目の採血、採尿。  

聞いてくれますか。これから30分おきに後4回も血を採らなければなりません。am7:40、4回目の採血、採尿。詰め所の体重計に乗ると5キロもやせています?貧血も激しくふらふらします。小便もちょろっとしか出ません。朝食もお預けで、もう腹が減ってどうかなってしまいそうです。  

少しおかしいのです。主治医のO先生が何も言わなかった血糖値のことを、院長が回診と称してひょっこり現われて、カルテを見るなり一言、「検査しましょう」とおっしゃいます。

入院時の血糖値を見て院長は判断したらしいのです。数値は110を越えると危険ラインですが、おいちゃんは113です。看護士にカルテを調べてもらいました。  

患者の体を思ってというより、なぜか儲けのための検査としか考えられません。5回も血を採られて、痛い目をして踏んだり蹴ったりです。

まあ、思い直して、親切にていねいに糖尿病の在りやなしやを調べてもらえる、とありがたく受けておくことにしましょうか。退院後の摂生の励みにもなります。・・・でも、やはり何か割り切れません。  

am8:00、腹がグーグー鳴ります。am8:10の第5回目の採血でいよいよ今日の苦行は終わりです。あっ!9時からまたいつもの点滴があるのを忘れていました。本日は都合6回も針を刺されます。しまいには自虐趣味の快感に変わってきそうです。  

精神力を培うことは、おいちゃんに与えられた永遠の課題です。この検査もその一環なのでしょうか。以前は、注射をすると聞いただけで、まるで子供のように身じろぎしていました。

針を刺したままの点滴などは死んだほうがましと考えるほど、うろたえまし た。A病院の40日で点滴にじゅうぶんに慣れSでは採血にと何事も慣れることなのです。  

pm3:00、土曜日は運動日です。グラウンドに出てあの坂道を小走りに登り切りました。足はがくがくで体力のなさを切実に悟ります。断酒と一緒で1日1日の積み重ねが心身を鍛えるのです。

とにかく点滴のある問は、基礎体力の維持を図るのがいちばんの 治療のように思います。。風邪は治りかけです。鼻は相変わらずずるずるしています。風の冷たい土曜日です。

yaのヤンキースの練習もこんな寒さの中で行なわれているのでしょうか。雲間から漏れる陽の光が少し救いですが。yaがヤンキースの練習試合でホームランを打ったと電話で言っていました。同点で迎えた最終回には勝ち越しのヒットも打ったとうれしそうでした。yaは野球でお父さんを乗り越えたと思います。  

自分で野球を好きになり自分で集団の中に飛び込んで行く、そして自分で自分の素質を伸ばす、何とすばらしいことではないでしょうか。好きだからこそできることです。野球に興味を持ったということは、yaにも親にとっても非常に喜ばしいことなのです。

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大阪のS小学校に通っていた時のことを思い出します。昭和29年ころのことです。おいちゃんは小学3年生です。体育の授業が始まる前、毎日、担任の言いつけで近くの国道まで往復約3キロを走りました。距離はもっと短かったかもしれません。

身長140センチメートルの体で感じた長さを今思い返してキロメートルに直すと、それくらいあったのかなと考えるのです。のん兵衛の割に体力が続くのは、そのころのマラソンで基礎の身体が出来たからだと感謝しています。

とにかく走るのが楽しかったです。もう一人速いのがいて、いつもその子と1着を競っていました。  

小学校3年生の秋、おいちゃんは浜松に転校します。静岡という県は今でも、埼玉、東京と並んでサッカーの盛んな県です。おいちゃんの小学5年生時代は、体育の授業も放課後の自由時間も全てサッカーでした。この種目は持久力のいる競技で1つのボールを追ってあっちへこっちへと走り回ります。

大阪でのマラソンが効いていたのか、おいちゃんは皆より早く球に追いつき、人より多くシュートをして、ゴールを決めてとたいへん張り切っていたのを覚えています。このころほとんど学校は休みませんでした。腸は弱かったのですが結構がんばっていたのです。  

浜松では体操の時間に野球の授業もあり、ボールの取り方などはしっかりと教えてもらっています。ある日練習の後、試合が行なわれました。おいちゃんに打席が回ってきます。横で見学していた上級生が

「三振バッター」

とおいちゃんをひやかすのです。次の球を振ると大きく左へ飛んで校舎直撃の大フアールでした。するとまた

「三振前のばか当たり」

と声が飛んできます。次のボールを狙って打つと、センターをオーバーする大三塁打になりました。”どや、見たか”という感じです。上級生はこそこそとどこかへ行ってしまいました。野球の思い出というとこれくらいです。  

中学(福井市)でも野球がありましたが、あまり興味を持てませんでした。社会へ出てからもずっとです。心が引きつけられないからあまりなじめず、どちらかというと野球は下手な部類です。

付き合い程度にスコアブックをつけるくらいで、進んで試合に出たいとも思いませんでした。おいちゃんがもっと野球を上手だったら会社勤めが違ったものになっていたかもしれません。  

yaは野球が好きです。興味を持っています。自分から進んで9人の中に入ろうとがんばっています。将来どの分野に進んでも野球が少し上手ということで、皆からどれだけかわいがられるか計りしれません。

S病院でも医師、看護人は皆ソフトボールが上手です。患者が束になってかかってもかないません。院長などは学生時代に準硬式をしていたとかでピッチャーをするのです が、速いボールを投げます。

院内にいる時よりは生き生きとして見えるから不思議です。看護主任のN氏は腕力にものをいわせてばかでかい当たりを飛ばします。  

とにかく野球で明けて暮れる野球天国の日本です。野球に興味があり、上手ということは絶対に得です。必ず一目置かれます。yaの少年野球に声援を送ろうではありませんか。