終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー40ー

「断酒治療」 患者と医療の考えに隔たり

桜前線が神戸まで北上してきました。

大阪地方の開花もこの一両日ということです。昨日訪ねた久米田寺の桜はまだつぼみでした。

見ごろは来週の10日ごろでしょうか。春はそこに来ています。

桜の花は見ても美しいですが、春近しを思わせる期待感がいちばんです。桜前線とはなんとロマンチックな言葉ではありませんか。

久米田寺は弘法大師ゆかりの寺で、まさにyaのお寺です。いい子に育つようによくお願い してきました。  

寺の東南にある池は大きなため池です。地図で計画した時は歩いて1周しようともくろんでいました。

行ってみて見渡すとどうも1時間くらいでは回りきれる距離ではありません。半分の行程でバックです。  

池に沿って桜の大木が100本くらい並んでいます。満開になればきっと華やかなのでしょう。かなりの人でにぎわうはずです。

久米田寺の境内にも桜の木が何本かありました。ここは駅からも近いのでお花見にはもってこいの場所です。  

しかし、おいちゃんはもう岸和田城にも久米田寺にも行く気はしません。この町には病棟のくすんだにおいいがどこまでもつきまとっています。

花見は橿原へ帰ってから郡山城の桜祭りにでも行ってみましょうか。  

今日またおもしろい話を報告します。

K断酒会の支部長が酒でつぶれて入院してきました。おとつい参加した例会で見かけたばかりの人です。どこか態度がおかしいなぁと感じていました。

後になって考えれば得心のいくことばかりです。酒は恐ろしい飲み物であります。どこにそんな魔力があるのでしょうか。

確かに昨年の8月、再飲酒し始めたときのことを思い起こすと悪夢です。

気持ちがぐうっと沈んできて胸が苦しくなり、なぜか居ても立ってもおられません。(後で禁断症状の一種と分かる)

飲んでいた時の癖で、この苦しさは飲んだら治る、飲むしかないとな ってしまいます。

母を病院へ送った帰り道、耳成生協の隣の自動販売機に車を横づけして、無意識で缶ビールを買っていました。  

今度ここを出てもし同じ状況に置かれたらどうするのか。その対処の方法をよく研究して頭にたたき込んでおかなければ、また去年と同じ失敗を犯す可能性は大です。

O医師は焦燥感は必ず起こると断言されます。そのとき安定剤を服用しろ、シアナマイド( 抗酒剤)を飲めとの勧めです。

でも何か子どもだましを聞いているようで心は揺れています。  

それは焦燥感という言葉に食い違いがあるからです。

精神科のしっかりした医師でさえ、ほんとうの焦燥感というものをわかっていないと感じます。

再飲酒防止の方法は、自分で研究し会得しておかなければなりません。

体が震えてどうしても飲まなければおれなくなったとき、自動販売機の前に立ったとき、どこまで瞬間断酒で立ち向かえるのかということです。  

1杯飲んだ後の連続飲酒発作にはどうしても勝てそうにありません。が、酒を口にする前の飲酒欲求には意志のカが発揮できると想像します。

体が要求してやめようとしてもやめれなかった酒です。死んで本望と飲んでいたお酒です。死ぬ気になればと決心しています。  

おいちゃんは、もうこれ以上飲むわけにはいかないのです。飲めばどうなるのか。当の本人がいちばんよく理解しています。

飲まないでおこうと何度誓ってもやめられなかったあのつらさ、体のしんどさはもうたくさんです。

にっちもさっちもいかないアルコール地獄は再び味わいたくありません。  

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目がしょぼしょぼして遠くの小さい文字がだんだんと見えにくくなってきました。そんなに勉強をしているわけではないのです。

Keiちゃんあての手紙の書き過ぎかもしれません?できることなら、退院後、手紙を整理して本にまとめてみたいものです。

題名だけは考えてあります。『アルコール病棟の百日間』。副題として“依存症からの脱出”です。  

少し書き足りないのは、医療の側の体制と心です。特に依存症の患者1人は、分裂病5人に相当するくらい診るのが難しいといわれています。

医者も看護人もケースワーカーもかなりの怒り心を持って仕事をこなしているはずです。

その怒りの原因はなんとなく理解できます。しかし、その気持ちの積み重ねが患者に対してどう跳ね返っているのでしょうか。  

アルコール依存症は病気だと言いながら、病人に対して真に慈しみの心でもって接してくれているのでしょうか。

人間として自分より一段下の者と見下してはいないでしょうか。疑問は消えません。

くる日もくる日も酒焼けした人相の悪い男たちを相手にしていると、ばからしくなってくるはずです。

患者はいちおうワンクール(3カ月)おとなしく入院しておれば、例外を除いて退院できます。

しかし、医者、看護人、ケースワーカーに退院はないのです。次々と入ってくる新しい患者のめんどうを見なければなりません。

仕事だからといっても心は安閑としてはおれないはずです。アルコールに心を占領されたひねくれ者が相手です。怒りの静まる暇はないでしょう。  

10人治療して1人でも治ればよいほう、というやりがいのない医療側です。自分の人生の前途を考えると、心の持ち様は患者以上にあんたんたるものがあるはず?です。

ya おりこうさんにしていますか?
お父さんは病院でおとなしくしています。いっしょうけんめいに病気をなおそうとがんばっています。

あと1か月で退院できそうです。5月からはyaと一緒にくらせると思います。たのしみにしていてください。  

毎日キャッチボールを教えてやれるかと思うと、お父さんはうれしくてしかたありません。

王かんとくの言うように野球は基本です。さいしょをきっちりとやっておくと、どこへいってもいばれたものです。  

八木ヤンの仲間にばかにされないくらいうまくなったら、また少年野球にもどって、がんばってやってください。今からおとうさんはおねがいしておきます。

どんなに苦しいことつらいことがあっても、と中でなげ出してはだめです。最後まで、しんどくてもやりとおすことです。  

もうすぐ4年生ですね.

(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)

 

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