アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー43ー
「ノイローゼ」 悪感情消えるの待つだけ
am6:00、起床。非常に気分の悪い寝起きでした。
採血、採尿(月初めの定期検査)のためしぶしぶ床を離れます。
点滴が朝と昼にあった時はやけくそでしたが、久しく採血してないと血管へ注射針を刺されるのはあまり気持ちのいいものではありません。
院内の断酒会、酒害教室と今日の日程を無事に乗り切り、さきほどpm7:00に夕食をとったところです。
まだ寒さもいくぶん残り、鼻をぐずぐずさせています。
「ある看護士への便り」
『前略、私はアルコール依存症でS病院に入院中の者です。
機関”T”4月号で、あなたの「とらわれから自由へ」という文章を興味深く拝見させていただきました。
あなたのおっしやっておられることは全くそのとおりです。
依存症者自身またはその家族が一種の心の病にかかっているのなら、それは酒を仲立ちにした「とらわれ」の病であることは事実であります。
人間の自己防衛本能あるいは自我(エゴ)が、依存という言葉を隠れみのにして表面化しているのが心の病たるゆえんです。
他の人よりまず自分をかわいがる本能、それが当S病院長のM・Drをして「三者三様の怒り」と指摘されていることに他ならないのです。
患者も家族も医者も怒っているということは、三者ともあなたの言われる「とらわれ」の病にり患しているということにはならないでしょうか。
次は私の意見です。「とらわれ」イコール神経症(ノイローゼ)ということです。
私は以前、疾病恐怖症という神経症にかかり森田療法で治療した経験があります。
森田療法とは薬などに頼らず、世の中で起こるすべての出来事をあるがままに受け入れるという、神経症の治療方法です。
いろいろな「とらわれ」があります。そのとらわれのために日常生活に支障が出てきた時が神経症です。
強迫観念を伴ったものは、不治の病としてガンなどと同等に扱われているようです。
とにかく苦しいのです。
私の症状は、焦燥感が高じて居ても立ってもおられない精神の錯乱まで進みました。
「とらわれ」の原因を確かめなさい、と日記を添削されました。
不安の根源が分かり、固着から解放された時が完治と頭では理解できています。
でも、実際には苦し過ぎるので一人ではなかなか治療に専念できません。介護者として森田療法を修得した精神科の専門医が必要不可欠です。
う余曲折を経て、けっきょく私の場合はこの方法では治りませんでした。
そわそわ感は心の病が原因ではなくて、アルコールの中毒が引き起こす禁断症状の一つだったからです。
酒を飲むことによって、「とらわれ」「精神の錯乱」が不思議なくらい治まるのです。
酒、酒、酒と薬のようにして酒を飲む日が続きました。
酒を飲み過ぎれば肉体の苦、飲まないでおれば心の地獄と、にっちもさっちもいかなくなり、昨年、依存症で第1回目の精神病院入院となるわけです。
「とらわれ」から自分を自由にすることが簡単なら、皆、こんなに苦しむことはありません。
酒へのとらわれも例外ではないと思います。
薬物としての離脱症状が加わりますからいっそうやっかいです。
森田療法でする治療とは、「とらわれ」はとらわれとして持ったままで(あるがままを受け入れて)、日常の事に仕えて行くのです。
「とらわれ」から逃れるには時間がかかりますが、それしか方法はないと教わりました。
人間の心に浮かぶ感情は、人間の意志の力ではどうしょうもありません。
ですから不安な時は、感情を感じたままにして建設的な仕事をし、悪感情の消えるのを待つということです。
断酒会の方法は森田療法そのものです。
つまり、あなたの言われる“とらわれから自由への選択”など出来ないということです。
自分の意志では決められないのです。
とまあ、かってなことを書きつづり申し訳なく思っております。悪しからず。草々。』
目がしょぼしょぼしてうっとうしい1日でした。
(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)