アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー45ー
「外見主義」 内部に変化与え1日充実を
am6:30、起床。夜半より外は雨です。
トタン屋根に大粒の雨が跳ね返ってひっきりなしに音が響きます。
下腹部でもさきほどからぐるぐると腸が鳴っています。便意を催しながら我慢して手紙を書いていると、あせる心が字を踊らせています。
もともとうまくないペンの運びが右上がり、左上がりのへにゃへにゃ文字になっています。
朝からお茶1杯、コーヒー1杯しか胃に入っていないのです。
便意があるということはちょっとばかし健康になったということでしょうか。
痛いところ不快に感じるところが日の経過とともに少なくなっていきます。
寝起きはいつものことでぼーっとしていますが、これくらいなら辛抱の範囲です。
森田療法でいうところの「日記に症状のことを書かなくなったことは喜ばしい」ということでしょう。
確かにしんどくない日は、手紙に症状を訴える病的な面は消滅しています。
その反面でしんどくなるとてきめん、どこが気持ち悪い、ここが痛いと切りがなくなるのです。
Keiはその波をソウウツの病といつも表現してくれますが、案外当たらずとも遠からずのような気がします。
しんどいことはやはり怠け心の一つです。日常生活に精根を傾けることで解決できるものなのかもしれません。
昨日、読書会で院長がこう言っていました。
「外側を整えると内部(心)が変わってくる」。
どしどし外見を整備せよとのことです。
Keiがいつもおいちゃんを諭してくれているように、人間はまず外見ということと同義語になるかもしれませんね。
見た目を飾りたてることにより起こる心の変化に期待する、外見にふさわしい内面を得ようと努力する、そういうことのようです。
Keiちゃんの意見は正かったのです。
おいちゃんも今までの意識を革命して「外見主義」でいくことにします。
そのためにはきれいな服装の似合うように突き出た腹を引っ込まさなければなりません。
このことに全神経を集中させて食事の摂生、健康の管理を徹底させたいと思います。
血液型A型の完全主義は怖いですよ。一つ思い込むとそればかりです。
でもとにかく、このお腹を何とかしなければ何も出来ません。
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外見を整えることのパート2は仕事にも当てはまります。
便利屋としての体裁を先に作り上げてしまうことです。
外に向けて潔く代行サービス業の開店を宣言します。名札も掛けましょう。
そのこと等でやらなければという熱意が浮かび上がってくるかもしれません。
(1)郵便受けに便利屋の看板をかかげます。
(2)玄関のドアにも名札を張りつけます。(生活保護との関係で、宣言の時期は調整する)
(3)チラシを再度検討して作り直します。
(4)印を作る。(いろいろと考えて左記になりま したがどうでしょう)
(5)服装をこざっぱりと明るい色調にする。
濃紺の運動靴、紺のズボン、ダークグリーンのセーター、襟元からオレンジ色のワイシャツカラー、
帽子はかぶりたくありませんが、頭の保守を思うとGの黒いヤツでもひっかけてみましょうか。
昔の洋裁学院、名スタイリスト殿、前ページのイメージで絵を描いてもらえませんでしょうか。
サービス業としてのこざっぱりと明るい服装になっているかご判断ください。
以上で外見が整います。抜け落ちているものがあったら追記しておいてください。
あっ、ばんばんじいちゃんに開店祝いとして駅前に看板をプレゼントしてもらいましょうか。
これこそ外見、後に引けなくなります。
今とりあえずしておかなければならないことはこれくらいでしょうか。頭をフル回転させています。
ちょっと聞きますが、あせっているようですか。Keiの公正な立場からどう見えますか。
焦燥感は禁物です。無理は絶対にしたくありません。断酒と同じで1日の充実だけを図ります。
計画の中に組み込まれた確実性をねらいます。
1日1日の断酒が縦続につながる要領と同じです。
早く開店したいという気もありますが、抑えてチャンスさえ逃さなかったらと思っています。
yaへの便りがありますので今日はこの辺で失礼します。
(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)