終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー14ー

「西成のシノギ」 あんたらだますの簡単やで

pm4:35、読書会は院長不在で中止になりました。

食後の15分と就寝後の3時間で(不眠のため)聞きまくった歌謡曲のカセットテープがあります。その中で、最後までおいちゃんの選考に残った歌はだれのだと思いますか。

同一のテープで表と裏に録音されている山口百恵とテレサ・テンです。裏返して、ひっくり返して何回耳にしても飽きません。森昌子は聞けません。真咲洋子、松原のぶ江、八代亜紀も何回かするといやになります。

市販の歌謡テープで3千5百円~4千円の物より、NHKのFMで収録したものの方が、選曲が良いことがわかりました。八代亜紀「熱唱の~」というカセットを借りましたが、以外と半分くらいは他人の歌が含まれているのです。

夜中は2時間おきに目が覚めます。その都度、イヤホンを耳に突っ込んで手探りで機械の操作をします。そうしていつもテープの歌を目を閉じて聞くのです。半分くらいでまた眠ってしまうのですが、そんなのの繰り返しで朝までもんもんとしています。

昨日約束したおもしろい話をします。怖い物語かも?

「市更相」という組織があります。大阪市西成区更正相談所の略称です。主に釜ケ崎のアンコ(日雇い労働者)の生活を正しく立ち直らせるための福祉施設なのです。

市更相の担当員は、「相手が相手だけに」(K氏談)少々の傷やけがでは福祉の費用で病院へ回さないそうです。目の前でぶっ倒れても、死にそうでない限り救急車の手配はしないのです。

その厳格な市更相から、おいちゃんが5号を出る前日、2人のアンコが依存症のレッテルはられ送られてきました。その内の1人、Y某という男が強盗なのです。I さんという名前の人がもう片方なのですが、同じ場所から一緒に回送されてきたので、皆は、友達?と感じていました。

「友達なんかと違う!あいつは西成のシノギや」と I さんは血相を変えて怒るのです。シノギとは、西成のアンコが仕事をします。例えば、地方の飯場へ2週間くらい入り込んで、ある程度まとまった金を稼ぎ釜ケ崎に帰ってきます。

その所持金と荷物をねらって、3、4人でグループを組んで襲うのです。棒などで背後からボカリとやって有り金全部を巻き上げてしまいます。正に強盗です。シノギとはそういうことだけで生計を立てている者達の呼び名だそうです。

「皆、それなりの、ええ根性しとるのやろな」とだれかが聞いたら、「違う、違う、あいつら、もう癖になっとるのや」ということでした。

翌日、早速5号室で重症患者が金の腕時計を盗られました。看護士が、なくなったらいけないとわざわざベッドのパイプにくくりつけていた時計です。

金も持っていないはずなのに八木某の枕元のサイドテーブルの中には、ジャムがありラーメンがありと、たいした暮らし振りなのです。ツナギの暖かそうな服も着るようになりました。

断酒例会出席などで夜の遅い患者の夕食を2人前、3人前と平気でたいらげます。早朝から詰め所に顔をのぞかせて、前日の残りの晩ご飯をこっそり持ち出します。さすがにこのときは看護士に見とがめられ注意されたということです。

用事もないのに廊下を行ったり来たりして、皆のスキを狙っているのです。

昨日、おいちゃんとKさんがグラウンドの端で陽に当たっていると、Y某が急に現われました。「買物、外でするの、どこやろ」と聞くのです。バッグを肩に掛けツナギの正装で身を整え靴をはいています。

ちょっと不思議な感じがしましたが、おいちゃんとKさんはてっきり届けを出して買物に行くものと思って、「坂を下りて、右に曲がって」と真剣に教えてしまったのです。

1分後、看護士が2人飛び出してきて、Y某を追って行きます。トンコ(逃亡)を企てたらしいのです。しばらくしてY某は、看護士2人に両側から腕を取られ帰ってきました。おいちゃんとKさんは完全にだまされたわけです。西成通がまた言います。「あんたらだますのなんか簡単やで」と。

5号室は今、緊張しています。昔ならだれか強力な圧政者がいて、ヤキ(懲らしめて反省させる)を入れられるはずが、ここにはそんな資格を持った人間はいません。Y某は平然としています。病院側も反省室に入れるわけでもなく、そのままにしています。

おいちゃんは顛を見るのもいやなので、5号室のK氏のところへ遊びにも行くこともできません。皆は買物カードを詰め所に預けたようです。

噂が他の部屋にも広がり、「そんなヤツ、はよ追い出そう」という動きが起こりかけています。どうなるのでしょうか。対立、暴力ざたなどと悪い方へ流れが向かないよう祈る気持ちです。

pm5:30。ここまで書くのに55分かかりました。一気です。頭の中に次から次へと文章が浮かんできます。いつの日か書く材料もなくなるのでしょうが、心引かれる人間集団には変わりがありません。いつまで続くかわかりませんが、乞う!ご期待を!です。

明日は検査の結果が出る日です。Keiからの宅急使が届く日でもあります。つらいようなうれしいような複雑な日になりそうです。

Mさんへ便りを出しました。無事に退院出来たなら今度こそ断酒会へ通います。Keiちゃんも協力のほどよろしくお願いいたします。かぜは治りかけています。yaは今日学校へ行ったのかな?

(この記事はブログの原点になるアルコール依存症からの回復日記である。
昭和61年(1986年)、アルコールの専門病院に入院したわたしが妻に向けて毎日書き綴った手紙で、病院の玄関にある郵便ポストに切手を貼って退院の日まで投函し続けた。)