終活 ひきこもりの息子を自立させるまでは死ねない

デジカメの編集画面にいつも笑顔の息子が現れる。「がんばれよ!」と小さく声に出してみる。

アルコール依存症・閉鎖病棟からの手紙ー19ー

「転落の道」 恐ろしい無意識の「1杯目」

pm5:30、気分がめいってどうしょうもありません。鼻水は垂れるし寒いし、話相手もいないし、ぞっとした気分です。退屈極まりないので奈良県断酒会の機関誌「せいりゅう」、13号を読んでいます。 元断酒会員だった人の奥さんの寄稿した文章に次のようなものがありました。

夫の日記から、 S58年10月31日
『肯から胸痛む。いろいろと思い悩み不安。断酒継続途上の体内トラブルとはいえ、つらい。でも痛みは再飲酒の歯止めとなる。二度と味わいたくない苦渋、毅然たる態度でのりきる。(この痛みがガンからのものであるともしらず)

この人は2月12日に帰らぬ人となる。「お前には借りがあるなあ。償うってどうしたらいいのやろ」。個室へ移って間もなくつぶやいたこの言葉は、きっと酒で苦労しただろう女房への、心からの詫びとねぎらいの言葉だったにちがいありません。』

と結んであります。痛みは再飲酒の歯止めとなるかどうかです。痛みを忘れるため体の苦しさから逃れるために酒を飲み、逃れ切れないと知って死のうと思って酒を飲んでいたおいちゃんです。 ただ、眠りが欲しかっただけですから、先の人とおいちやんとは少し違うような気がします。  

おいちゃんの場合、Keiに償うってどうしたらいいのでしょう。鼻水を垂らしながら考えはちぢに乱れます。「私は家族に言っている。「不治の病であれば、一杯の酒を石碑にかけるより、飲んで 死なせてくれ」」とも「せいりゆう」にあります。酒1合で人生変わります。

今日はなぜか会報類を読めば読むほど気分がめいってきます。むなしくてどうしょうもありません。このように凸凹を繰り返して、堪えていくしかないのかと思うと切なくなります。  

再飲酒してきた人にこのごろよく聞いて回るのです。1杯目をどのような気持ちで飲んだのかと。返ってくる答えは皆「無意識で、すっと、いつの間にか飲んでしまった」と言います。まことに恐ろしいことです。  

寝転んで書いています。6年間断酒していた人が、暑くて汗をかいたのでジュースを飲もうとしていたそうです。そこへ会社の仲間が缶ビールを1本差し出しました。なにげなしに、ふっと飲んでしまったと言うのです。

缶ビール1本が6年間をふいにします。封印していたウイスキーをその日のうちに1本空けてしまい、それからずるずると泥酔しっぱなしのお決まりの転落の道です。  

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pm6:15、鼻水が相も変わらず垂れます。今日外出より帰院した3人が、3人とも反省室(通称ドスン)に入れられました。飲酒のためです。なけなしの金で1杯飲んで帰ってきた者、外出12回、失敗12回で、今回の13回目の外出も見事失敗してきた者などいろいろです。  

病院にいる時やめられていた酒が、外に出るとどうしてやめられないのでしょう。シャバの空気が依存症者にどのように影響するのでしょうか。

確かに町によっては50メートルおきくらいにアルコールの自動販売機が設置されている所もあると聞きます。意識しないで通り抜けるには、やはり相当の覚悟がいるのです。  

おいちゃんの依存症は皆とは事情が少し違うような気がしてきています。おいちゃんの場合、神経症かうつ病の焦燥感、精神錯乱を抑えるために、精神安定剤の替わりとして酒を飲んでいたようなのです。症状がなければ酒などいりません。  

やはりおいちゃんは神経症の中の一つ、疾病恐怖症にり患していたのでしょうか。体の不調が相変わらずすごく気になります。あまり考え過ぎるのはやめです。空想の遊戯は宇宙の果てまで旅しても限りがありません。  

一難去ってまた一難、血糖値が高いと言われました。糖尿病の気があるらしいのです。明日の朝、採血が行なわれます。あめのなめすぎなのでしょうか。鼻水が止まりません。せきの出ないのが幸いです。書き続けていて少しづつ気分がおさまってきました。2階に遊びに行ってきます。  

テレビ室でコーヒーを飲んできました。いい文章に久しぶりに出会いました。

「自らをみつめ、欠点をチェックすることが必要となってきます。厳しいけれども決して苦痛ではないはずです。自責感に悩まず、自分が勝手に作った依存症という病の心理状態を、断酒会で正直に語るようになれば、周囲の人からも受け入れられて、再出発の手が かりをつかむことになります」

”厳しいけれど決して苦痛でない”、この言葉、気に入りました。心の支えとして覚えておこうと思います。  

Pm7:00、消灯後の緑のタヌキが楽しみです。今日は汁まで飲まないでおこうと決心しています。妙なホームシック吹き飛びました。やはり自分がしっかりして堪えていくしかありません。明日は文庫本でも借りて堆理の世界へ入り込んでみようと思ってい ます。  

いよいよ弥生(やよい)3月です。目の前の段ボール箱に便せんに書いた暦をはりつけています。日付のところに余白を少し大きめに作りました。この空欄に少しでも前向きの行動予定が記入され、実りの多い3月であることを祈っています。  

過去を振り返ると悔しいこと悲しいことばかりです。もう振り向くことを少なくするつもりです。桜の花見に行けること、海水洛に興じるること、Keiとyaをひっぱり回して喜ばすこと、それだけを考えて治療に専念することにします。